☆抱きしめ効果☆
最近、誰かにギュッと抱きしめられましたか?
・・・何をまた突然・・・・ と、思うでしょうが、自己紹介にも書いてある通り、
私の好きなことは愛する人とのスキンシップ。
人には・・・特に女には 『接触欲』 という生理的欲望があるのではないかと
思うのです。^^ 個人差はあるにしろ、私は接触欲旺盛な方だと思います。(笑)
一番好きなのは、大好きな人とギュッと抱き合うこと・・・夫は勿論のこと、子供たちや
親しい友達など・・・。
抱きしめといえば、マザーテレサを連想します。何故かというと、マザーテレサが
いつの日か、ある難民キャンプでのインタビューで抱きしめの大切さについて
お話をしていたことが、ずっと心に残っているからなのです。
「一人で死んでいく人には、抱きしめがとても必要なのです」
彼女は難民キャンプで特に今にも死にそうな人を探し、抱きしめながら深い愛と
共に看取っていました。
『抱きしめ』 ・・・ この響きにエッチな連想だけしかできないようではまだまだで、
きっと、女が本能的に求めている抱きしめとは、恋人といちゃつくことばかりではなく、
女心を心底癒し、優しく慰め、安心させ、幸せにするような、そんな温もりが伝わる
抱きしめであり、だから接触欲って、それを待つ気持ちなのかなと思います。
マザーテレサが施されたように、愛する人に抱きしめられながら死ぬことができたなら、
私はきっと、自分の人生、幸せだったと心から思えるでしょう。
悩み苦しみ、占いに訪れる女性達に、少しでもそんな温もりのある抱きしめが
あったなら・・・と、占い鑑定する度に思います。
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☆常識って何?☆
「だって、それって常識でしょう?」
と言われたら、返す言葉もないですよね。^^;
ある方からそういう風にまた言われてしまい、(そ、いつものことなのよね
私にとっては) 仕方がないかと開き直ってみたりして。(笑)
昔から私は非常識な人間だと言われ続けてきました。 特に優等生タイプの
同級生からは、未だに私のことを 「全くあの人ったら昔から破天荒のわがままで
常識知らずなんだから」と、嘆かれているらしいし。(汗)
若かった頃は、自分が非常識な人間だと言われる度に辛くなる時期もあったりして、
コンプレックスにもなっていました。でも年を追うごとにわかってきたのは、全て
の人が私に説教しているわけではないということ。(笑) 周りを見渡せば
私を「非常識だ」と言わない人も、実は結構いたりすることに気づいたんだ。
その人達は私だけでなく、誰と話す時も 「常識」「非常識」 という言葉を
使わず、どんな意見でもまずは理解しようと努める。 「非常識だ」 と
いう言葉ではなく、「私には理解できない、共感できない、納得できない」
と言っています。 「常識」という言葉を使わない人たちは、自分の意見や
感想、主張を自分の責任の上で言ってるのに対し、「常識」という言葉を
よく使う人は、自分が共感できなかったり納得行かず不愉快に思った時
「一般常識にそぐわない」と言い換えているのではと思います。常識か非常識か、
一体誰が判定しているのかというと、世間一般ではそうだと思い込んでいる、
その人個人でしかないものね。 その人にとっては非常識なだけで、他の
人にとってはまったく常識的な範囲かもしれなくて、ただ、自分が不愉快
だから相手の行動を制限したいだけなのに、そう言わないで「常識」を
持ち出してしまう。 「常識」という言葉が便利だからかな。 自分は全く
傷つかず、相手にだけダメージを与えることができるもの。
・・なので私は特定の誰かの常識に従う必要はまったくないと思っているのです。
(そんな調子でいるから非常識って言われるのかもしれないですけど)
「常識」に従って生きていると、人生が大幅に制限されてしまいそうですし。
例えば・・・そうね、親孝行するのは常識で、その為には遠くに行かないで
近くに住んであげるのが常識で・・・・この「常識」に従うと、私は故郷を
出られないまま一生を過ごすことになってしまいます。 「結婚するのが常識。
子供を産むのが常識。」という常識に従うと、不幸な結婚でもよしとしなければ
ならなくなり、あるいは結婚や出産、育児をしない自分を責めることに繋がってしまう。
・・・・結局のところ、自分の常識は自分で責任を持って作ればいいと思うのです。
他の誰の常識に頼る必要もないですし。 常識といわれることに従っていると、
周囲との軋轢が起きないですむことが多いのは確かだけど、その為に自分の夢を
諦めたり、人生を諦めたりすることになりかねないもの。 幸運を掴みたいという
望みがあれば、まず常識を疑ってみる。 その常識が自分の人生にフィットするのか
どうかを考えてみる。 その結果、「非常識」だとレッテルを貼られたところで、
臆することはないもの。 ただたんに、自分の考えや生き方が、ごく狭い
範囲の周囲の人々と合致していないだけのことだから。
広い世界に出て沢山の人に会えば、自分と同じように考え、生きてる
人って案外沢山いるんだなってことに気づくものですしね。
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☆性格改造計画☆
性格って、変わるものなのだろうか?
宿命的に持って生まれた性質はあるにしろ、なんとかこう、もっと魅力的な自分に
なりたいよなぁっていう願望って、誰にでもあると思うのですよね。
性格って、生まれ持った癖みたいなのはベースにあるとして、育った環境や
関った人間関係でも随分良くなったり悪くなったりするものですよね。
そんな中、若い頃はとかく自分探しに夢中になったり、各種占いで自分は何型に
当てはまるかを確認し、安堵したり逆に不安になったり。
「・・自分って、自分って・・・」と、探し回っているのって、一体幾つくらいまで
なんだろう?・・占い師としての意見から言うと、多分20代の終わり頃迄かな。
30過ぎたら、特に女は地に足をちゃんとつけていなければ不安だったりするし。
色々決断を迫られるお年頃でもあるわけで、例えば結婚するかしないか、産むか
産まないか、仕事を続けるか辞めるか、など。それらの決意や覚悟の前に、ちゃんと
自分の性格や性質、向き不向きを把握しておきたいのよね。
20代のうちは性格なんて自由自在で良いと思います。イヤなら別のキャラに変更
したって構わない。恋愛酣の世代なんだし、本物の恋をしてやっと内面に眠っていた、
本人すら気づかなかったであろう「女の性格」ってものがある日突然ポン!と
飛び出て来たりするだろうし。相手の男が変わるたびに、新たな性格が涌き水の
如く出てくるわ出てくるわ・・。(笑) だから時には自分自身に混乱したり、うっそぉ〜!
とのけぞってみたりするんだよなぁ・・・。(それがまた楽しかったりもするし。
良いなあ・・若いって) だから占いで「私は何タイプ?何型?どーゆー性格?」
って確認したくなるのもこの時期が一番多いんじゃないかな・・・。 ・・・・故に女の
性格って、恋をしてちゃんと「女」になってから自分自身でコーディネートし、
作り上げて行くものだと思います。 だからとっても後天的だったりもして、化粧や
ファッションでいくらでも外側を変えられるのと同じで、内側だってその気になれば、
自由自在。 その自由の幅を広くとれるかとれないかは、20代迄の様々な経験に
かかっているのかもしれない。
・・・って、これって恋する女の性格変化についてかな?ちょっと話しが偏ったかしら。
書いてるうちにわかんなくなってきちゃったわ。 ハハハ。(汗)
・・・そういえば誰かが言ってたっけ。 人間には3種類しかない。好かれる人間と
嫌われる人間と、関心を持たれない人間がいるって。・・・やっぱりどうせなるなら
好かれる人間よねぇ・・・・。 大人になっても性格って変えられると思うのよね。
本人の努力次第で。自分を省みる自己反省心と、謙虚な気持ち、そして
柔らかいココロというか、柔軟性があれば、人間幾つになっても進化できると
思っています。 なので最低限ココロが凝り固まらないよう、注意しなければね。
聞く耳を持たなくなった時が危ない時。勿論、「私は私!」で全然良いんだ
けど、度が過ぎると「私は正しい!」になっちゃうからご用心。 「ありがとう」
や「ごめんなさい」が素直に出なくなったらオシマイだものね。 大昔から偉い人程
皆自分の罪深さや愚かさを恥ながら生きてきたものだしね。最低でも謙虚さ
は失わず残しておこう。それが性格を変える近道だろうから。ね。^^
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☆ムーディーな女☆
雰囲気のある美しさ。目指すはこれだなぁと考えさせられた。化粧水が切れた
ので、デパートの化粧品売り場をふらりと訪れた私は、椅子に腰掛け、美容部員
と何気に会話する女性に目を奪われた。 年の頃は私と同じか、ひょっとしたら
もうちょっと上かもしれない。 装いは至ってシンプルで、ツイードのジャケットに
お揃いのスカート。 美容部員が彼女にメイクを施そうとした時、彼女はハラリと
ジャケットを脱いだ。 私が目を奪われたのは、まさにその時だった。彼女の
美しい二の腕に息を呑んだのだ。 以前、私は日記に、女の魅力は二の腕で
決まると書いたけど、まさにそれを証明するかのような魅了する美しさだったんだ。
私はつい我を忘れ、ポカァ〜ンと口を開けたまま、見惚れてしまった。細過ぎず
太過ぎず、イイ感じの思わずかぶりつきたくなるような(笑)その二の腕に、暫し
息を呑んでしまった。 彼女の体型は、中肉中背で顔立ちもおとなしめで
とびきりの美人というわけでもないが、際立つ二の腕の美しさは、彼女の持つ
気品のようなものを確かに主張し、物語っていた。女の魅力はサイズなどでは
計り知れないものなんだと思う。確かにバランスのとれた体型はカッコイイけど、
店頭に並ぶ服を着せられたマネキンとさほど変わりはなかったりするし、個性が
なさ過ぎる。魅了する美しさとは血の通った人間の、ちょっとアンバランスな
体型の中に隠されているに違いない。誰にだってセールスポイントはあるはず。
それが胸だったりお尻だったり、背中だったり、くびれたウエストだったり、
手足だったり。肌質だったり、髪の美しさだったりね。 そういうものが、ふとした
時に、異様に艶かしく美しく見えたりするものなんだ。今更こんなことを書くのも
なあって感じもするけど、美しさは、他人と比較しても何の意味もない。自分の
中に潜む、何て言うのかな、美しさ同士の比較をすることが、魅力アップの
秘訣だと思う。だって女一人が持っている魅力って、決して一つだけではない
はずだから。むしろ、本人次第で無限大に広がっていくものだと信じているわ。
誰にだって、雰囲気のある、魅了する美しさを得ることは可能だと思うの。
ただ、魅了する美しさを得た後に、注意しなければならないことが一個だけ
あるんだな。 これをやらかすと、せっかく得たはずの美しさも色あせてしまう
のでご用心。魅了する美しさを得た後は、決してそれを自分で宣伝しては
いけないということ。 たとえば、「私って、こんなに美しく魅了する女なのよ」と
わざわざ振りかざしてまわるようなことをしてはいけないんだ。(つい嬉しくて
したくなる気持ちはとても良くわかるけど、でもそうすると品がなくなってしまう
んだなぁ・・・) 美しさって、例えば今日、私が化粧品売り場で魅了された
女性のように、ただ存在しているだけでまわりが勝手にそれに感心し、評価
してくれるものだと思うんだ。それが美しさというものなのだから。 それを
振りかざしたり、強調した途端、台無しになってしまう。 ・・・・美しさを持って
いるのに、何も使わない女性、その潔さに人々は拍手を贈りたくなるのだと
思う。素晴らしい魅力を手に入れても、宣伝に回りたい気持ちをグッと堪えて、
何にも使わない勇気が、その人の美しさの存在を2倍3倍にカッコ良く引き
たててくれるのだと思うから。
・・・・またもや話しがドンドンそれてしまったけど、雰囲気のある女の美しさを
得る修業って、これでおしまいってことなく延々と続くものなんだよなぁ・・。
そう、続けることに意味がある。 とりあえず、昨日の自分に勝つためにも、
女は日々そうやって鏡と向き合い、灰になるまで努力を積み重ねゆくもの
なんだろうなぁ・・。
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