☆ わがまま ☆
小さい頃から、常に言われ続けてきた言葉です。
わがまま 破天荒
きっと、生意気で人の言うことを聴かず、傍若無人に暴れまわるというイメージが強いから
だと思います。
お正月に気位の高い叔父が、私たち甥っ子姪っ子を客間へ呼び、ずらりと一列に並ばせ
正座をさせ、
「さあ、ひとりずつ順番に、おじさんに新年の挨拶をしなさい。しっかりと挨拶できれば、
お年玉をあげよう。」
と、腕を組みふんぞり返り、私たちに言いました。
従兄弟達が一人一人、三つ指ついて、
「叔父様、新年 明けましておめでとうございます」
と、頭を下げる姿に、私は途轍もない嫌悪感を感じ、ひとり静かに立つと、列から離れ、
部屋を後にしました。
後で叔父には「女の子なのに可愛げのないヤツだ、躾がなっていない」と両親にネチネチ
告げ口され、親からこっぴどくお説教されたことはいうまでもありません。
「頭下げてまで嫌いな叔父さんからお年玉なんか貰いたくないよ!」
と、反抗すると、父は真っ赤になって怒りを露にし、「出て行け!」と雪の中、放り出されました。
クソ!!! こうなったら凍え死んでやる!!! と、冷たい雪の上に大の字で体を沈めて
いると、ビックリした祖母が私を保護し、部屋へ連れ戻しました。
・・・何故か、6歳の頃の、そんな過去を思い出しました。^^
この年になっても、この、「わがまま」 「破天荒」 という気質によって、人様に迷惑をかけて
しまうことが多いですが、でも、最近はこの、「わがまま」で「破天荒」な自分が、嫌いでは
なくなってきました。
自身を客観的に見つめ、自覚し、認めることによって、こんな私だからこそ、謙虚さを
わすれちゃいけない、他人様の邪魔をしてはいけない・・・などと、礼儀、マナーの大切さを
心して考える気持ちも湧いてきたように思います。(まだまだ全然足りませんが・・・^^;)
「わがまま、というのはね、紫式部が『源氏物語』の中で、わが、まま と、書いたのが
始まりだそうよ。感情を、わが、ままに表現することってね、その人の色、熱、香り、リズム
が感じ取れて、悪い面ばかりじゃないと思うの。感情を隠して理屈だけになると、今度は
無味乾燥で風情がなくなってしまうでしょう。 何事もバランスが大切で、過ぎると
良くないけどね。」
これは、恋人からキツイ一言を放たれ、失恋した私が落ち込んでいた時、ある先輩から
頂いた忘れられない慰めのお言葉です。
HPの裏日記の部屋は、そんな私の わがまま な気持ちから、また、表へひっくり返す
ことにしました。^^ 言霊の部屋や、恋の部屋と同じようなスタイルで、一言日記のように
綴って行けたならと思いました。
自分にとっても、また、読んで下さる方にとっても負担なく、気軽に楽しく続けて行ける
と良いな・・・と思っています。
こんな わがまま な私ですが、あらためて宜しくお願い致します☆
(2006/9/30)
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☆ ゆっくり ☆
蕾のまま開きそうでなかなか開花せずにいましたハイビスカスが、
とうとう花開きました。^^

娘と二人、大喜び☆ クリスマス間近な冬にハイビスカスを楽しめるだなんて、とても嬉しいです。^^
蕾の時間が長かったせいか、季節的なものなのか、花びらが少し弱々しく感じますが、それでも
力いっぱい健気に咲いています。^^
「いいことって、いっぺんに沢山くるんじゃなくて、ゆっくりいっこいっこ来る方が嬉しいよね」 と、娘。^^
「そうね、ゆっくりがいいね。^^」と、私。
全然進んでないように見えても、実はゆっくり着実に進んでいること・・・ 子供の成長も同じですし、
もしかすると、全く進歩のないように感じる易のお勉強も?などとも思います。
新しく始めた易法口訣の勉強は、オソロシイほど歩みが鈍く、先生に質問だらけなので、
まだほんの数ページしか勉強は進んでいません。
でも、いつかは必ず、100ページ150ページと進み、そして難しく思えた本が全部自分のものになると
いうことを信じ、覚え行く過程をひとつひとつ丁寧に確認し、焦らずコツコツ励むことが大切なんですね。
20年前、高部先生のお教室初日に易経八卦の象を見た時は、チンプンカンプンだった私も、今では
六十四卦全てイメージとして残っていますし、占いにも使えるようになりました。
占いに取り入れ経験を重ねることで、より一層、自分らしい占断ができるようにもなりました。
覚えている最中は必死でしたが、あの、数年間のお勉強は、今の力をつける為にどれだけ貴重で
贅沢な体験だったか、今だからこそ身にしみて感じます。
「慣れすぎると人は短気になる」
と、誰かが仰っていました。 運転だってそうですよね。最初はオッカナビックリハンドルを握って
いたはずが、いつの間にか驕りが出て、ちょっと信号を待たされただけでイライラしてしまって。
1〜2分焦ってもそれ程影響はないはずなのに、待てなくなってしまう・・・
人間関係でも、仕事でも何でも、狎れるとよくないですし、常に初心に返ることが大切なのだと思います。
すぐに結果を出そうと焦らず、ゆっくり着実に進むということは、心を置き去りにすることなく、
大切なものを見逃すことなく、色々な貴重な気づきを与えてくれるものですね・・・
・・・などと、娘の何気ないひとこと、「ゆっくり」を深く考えさせられた朝でした☆
2006年12月19日
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☆ 貴人 ☆
運命を引き上げてくれるような人。
死にたい程苦しみの只中にいる時、そっと手を差し伸べ、引っ張ってくれる人。
その人との関わりによって、運命が開けてくる・・・ そういう人を中国では「貴人」と呼ぶそう。
人生、振り返ってみますと、数人の貴人との有難いご縁があり、あの方達がいてくれたから、
あの時を乗り越えられ、今の自分がある・・・と時折思い出しては感謝し、そっと手を合わせます。
ある人はもう亡くなり、また、ある人は名前も知らない人だったり・・・
そういう方達へはしたくても恩返しができないので、できる限り恩送りというかたちで返して
いけたならと思っています。
人間の場合も「貴人」との出会いはありますが、動物にもありますね。
昨日、家族でお買い物に出かけていました際、ルナに表情がソックリなワンちゃんが吠えて
いるのを見つけ、嬉しくなり近寄って、思わず飼い主さんに声をかけました。^^
「可愛いですね!この子、シュナウザーですか?」 と、訊ねましたら
「いえ、ダックスなんですよ。^^ ワイアーヘアード。」と、優しい笑顔の飼い主さん。
「わ♪ ダックスのワイアーヘアード、初めて見ました!ず〜っと会いたいなと思っていたのですよ♪
嬉しい〜♪」
そういいながら、2匹のワイアーなワンちゃん達を撫でさせてもらいました。
ワイアーヘアーのダックスは、ダックスにシュナが入っているので、ルナにとてもよく似ているのです。
飼い主さんに携帯待ち受け画面のルナを見せると、「本当!似てるわね〜」と、ニコニコ。
ちょっと怯えたような警戒したような目線も、優しく撫でているうちに慣れてくれて、そのうち
飼い主さんと世間話をすることに。
飼い主さんのお話では、ワンちゃん達はずっと虐待されていたそうなのです。
詳しいお話は訊きませんでしたが、あまりにも不憫で引き取ったとのこと。
最初は人間に怯え、目を合わせず、ただただうずくまり、ビクビクしていたそうです。
最近はやっと飼い主さんや周囲の人たちにも慣れ、お散歩に出しても怯えて吠えることもなくなり、
穏やかに過ごすことができているそう。^^ 飼い主さんの可愛がり様は、目に入れても痛くない
という程のもので、このワンちゃん達にとっては仏様のような人だな・・・こういう人のことを
「貴人」というのだなと、思いました。
短い出会いでしたが、ニッコリ別れを告げ、帰宅し、ルナネロを抱きしめました。
二匹のワンちゃんとの出会いでルナネロにはちょっと甘いおかーちゃん@私でしたが・・・
甘やかしすぎるとダメですね〜^^;;;
それまでは私がキッチンに立つと背後にあります冷蔵庫の前でジ〜ッっと睨んでいました
ネロが、とうとう魚焼き器にまで手をかけ、開け始めたのです!
「おい!ここで焼いてた魚はどこだ?!どこに隠した?!」と言わんばかりの表情。

ルナまで嗅ぎつけて来ました。^^;

魚がないとわかったネロは、「ニャ〜〜!!!(魚出せ〜〜〜!!!」と、大声で叫びながら
私に飛び掛ってくる勢いに!!! こ、恐い!!!

「コラ!ふたりとも調子に乗らないの! 危ないでしょ?!」
と、叱られながらルナネロは抱えられ速やかにハウスに隔離されました。^^;
折角の温かな気持ちがどこかに吹っ飛んでしまった私は、ルナネロにとって貴人にはなれないわ〜(^^;;;
いや、待てよ・・・? 逆にルナネロが私にとっての「貴犬、貴猫」になるかも・・・。
辛いことがあっても、ルナネロの顔を見ているだけで元気になれます。
愚痴も黙って訊いてくれます。 ホッと安らぎを与えてくれます。
小さな貴人さん達、いつも癒しを与えてくれてありがとうね☆ 感謝☆
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☆自分磨き☆
小正月と呼ばれる日ですね。お正月の行事も終わり、供えてあった鏡餅を炊き込んだ
小豆粥をいただき祝う日。お正月料理、酒宴に疲れた胃に優しく、栄養価ある小豆粥
は望粥とも呼ばれるそう。お正月気分もやっと抜け、普段の日常生活が始まりますね。
・・また唐突なテーマになりますが、日頃から私は「自分磨き」という言葉をこの日記の
中でもよく使っているのだけど、「マリアさん、具体的に自分を磨くって、どうすれば良い
のでしょうか?」という質問を時折頂く事があり、今朝も 「今年こそ自分磨きに専念し
たいと気合だけは充分なのですが、どうすれば上手に磨けるのでしょうか?」という
メールをある方から頂きましたので、今日はいわゆる「自分磨き」について考えてみたい
と思います。
・・・よく、「自分を磨こう!」と、雑誌やテレビなどでも目にしたり耳にする言葉ですが、
「女がやらなければならないこと」 のように義務付けられているわりに、具体的にはと
考えてみれば不透明だったりするんだよね。ある人は勉学に励んだり、技術を上げたり、
外見をカッコ良くしたりetc・・ 要するに 「自分を高める」「イイ女になる」「中身のある
女になる」 などということなのでしょうけれど・・・・。
バランスの取れた自分磨きとは、自分の夢や希望と自分の向き不向き、実力を冷静に
照らし合わせつつ、夢中になり、楽しみながら高めていくということで、そういう女性は
本当に素晴しいし、見ていて気持ちが良くなってくるものよね。 遊んで怠けてる人とは
自ずと差がつき、自然と嫌味なく磨かれて行くもので。
しかし、問題なのは、度を越した自分磨き。 「磨かなきゃ磨かなきゃ」と常に焦って
いる人は、それが自然と態度に表れ、見ていて痛々しくなってくる。 もっと磨かなきゃ、
もっと向上しなきゃ、このままじゃマズイ、どうにかして磨かなきゃ・・・・と、いつも
焦り急ぎ、イライラし、自分を追い込むような、その常に自分自身を責めたてる
行為は、人間をとても不安定にしてしまうものでね。自分を磨くことに執着するあまり、
磨くということの本質を見失ってしまいがち。・・・そういうタイプは、人間関係も 「自分を
磨いてくれる人か、高めてくれる人か」で判断しがちになってしまう。 自分の為に
なること、磨くことを最優先させるという同じ価値観の人としか付合えなくなってしまう。
・・・・これでは、自分磨きに必要のないモノ、事柄、人間は、全て切り捨てられて
しまうことになるのよね。 でも自分磨きの本質って、切り捨てるのではなく、広く深く
受け入れる為にあるのではないでしょうか?
自分を高める為、勉強に没頭する為、時間の無駄になるような、それまでの付合いは
一切止めるとか、趣味が合い、得になる人としか付合わないとかでは、本当の意味で
「懐の広い磨かれたイイ女」とはほど遠くなってしまうように思う。
・・・本当の意味で磨かれた人というのは、本来とても穏やかで、ココロの間口の
広い人。 だから少しも頑ななところがない。石を磨けば輝きが増すけど、それは角が
取れて表面も滑らかにツヤツヤになるから輝くものでね。 人間だって同じ。磨けば
磨くほど、滑らかで柔らかくならなければね。
それでも、10代、20代のうちは、あらゆる可能性にチャレンジし、自分磨きに
躍起になるのも悪くないと思う。 実は私がそうだったから。(笑) でも、20代後半で
さすがに立ち止まったわ。 私は果たして何の為に自分磨きに躍起になっているの
かって。 ただ一人とんがって、人より立つ位置の高い占師になることが目的なのか、
それとも視野が広く幅も広く懐は深く、滑らかで人間味溢れる占師になることが目的
なのか? あるいは、何か 「結果」のようなものが欲しいのか、もし、結果を望んで
いるのなら、具体的にそれはどのくらいの実績を上げた場合の結果なのか・・・・?
・・・たぶん・・・「磨かなきゃ」「高めなきゃ」と、常に焦っている人は、何かの「結果」
が欲しく、急ぎ過ぎているように思う。 「結果」が出ないから、焦ってイライラして
身もココロも不安定になり、そのうち周りの友達もひとりずつ離れ、孤独になり、余計
焦りまくりイラつく・・・。こんなはずじゃなかったのにと。
でもね、自分を磨いて得られるものって、結果なんかじゃないんだ。 それは決して
目に見えないもの、カタチのないもの、その人のオーラとなり、匂い立つようなもの。
・・・例えばそれは穏やかで温かい人間性だったり、ひけらかさずとも滲み出る知性
だったり、それはそれは、本人さえ気づかぬ奥深い魅力だったりして・・・・。 それが
きっと、自分磨きで得られる素晴らしい財産なんじゃないのかな。
長くなってしまったけど、 自分を磨いているどころか、自分を削り身をすり減らして、
トゲトゲしい人間になってしまわないよう、焦らず慌てず丁寧に自分磨きを頑張り
ましょうよね。 だって女の人生、先はまだまだ長いんだし、自分磨きって、きっと
死ぬまで続けて行くものだと思うから・・・・。 ・・・どうせ磨くなら、ココロに余裕を
持ちつつ、滑らかに磨きのかかった上等の女を、楽しみながら一歩一歩確実に
目指して行こうではないか・・・・・・・・・☆☆
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