☆ 女子トイレの貼り紙 ☆
・・・と、何だか不思議体験の部屋のようなタイトルですが、違う意味で
コワイ話を書きたと思います。(笑)
もし、男性が入ったら興醒めするのでは?と驚くほど汚れた女子トイレに
遭遇し、ガッカリすることが時折あります。
娘を連れて学芸会に必要な白いタイツを買いにデパートへ行きました。
「・・・おかーちゃん、トイレに行きたい」
という娘の言葉に、デパート内の化粧室を探しました。
休日ということで人が多く混雑し、トイレの前には列ができていました。
やっと順番が来て、個室に入って唖然としました。
前にも後ろにも横にもしつこいほどの貼り紙が貼ってあるのです。
「トイレはキレイに使いましょう」「サニタリーボックスにはタバコの吸殻や
ガム、オムツなどを捨てないように」「トイレットペーパー以外の物は流さ
ないで下さい」・・・等
・・・・ふとサニタリーボックスを見ると、ゴミで溢れかえっています。
「トイレはキレイに使いましょう」なんて、わざわざ貼らなければならない
のも哀しいですし、貼ってあるにもかかわらず汚く使う人がいる現実も
哀しいものです。
人前で少しでもキレイに見せたい、良く見せたいと思うあまり、着飾ったり
メイクしたりヘアスタイルを整えることに夢中になり、その反動で、誰にも
見られていない時は女性としての緊張感がユルユルになり、マナーが疎か
になってしまう・・・・。
子供の頃からちょっとずつ築いてきたはずのせっかくの倫理観を忘れて
しまっているような状況を、女子トイレの貼り紙は私たち女性一人一人に
「思い出して!」と哀しげに訴えかけているように思いました。(大いに反省)
・・・誰が見ていようと見ていまいと、いつもと同じように石鹸をつけて丁寧に
手を洗い、ポケットからハンカチを取り出して拭う娘の姿を眺めながら、
これから年頃になって鏡を見てメイクしたり着飾ったりするようになっても、
この丁寧さ、女性として忘れて欲しくないなぁ・・・そういう私だって忘れて
しまってはいけないよなぁなどと、しみじみ思いました。
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★ やっぱり目指すは知的な女 ★
癒し系やセクシー系女性が持て囃される今、「知的な女性」=「いい女の
条件」というのはもう古いのかもしれません。それでもやっぱり真のいい
女というのは、「知的な」というベースがあってこそだと思います。
しかし、ここで気をつけなければならないのが、「知的」はあくまでもベース
であって、あまり表に露出しすぎてはいけないということ。「知的」とは、
知性や教養が洋服を着ていることではなく、むしろそれを日頃いかに隠せる
かが知的の量を決めるのだと思います。(能ある鷹は〜という感じでね)
また、学歴や社会的地位の高さ=知性の高さと勘違いされる方も未だに
存在することには驚きますが、いくら社会的地位が高くても、相手の気持ち
や立場を思いやるという、人として当り前の配慮に欠ける人は、知的レベル
が高い人とは言えないと思います。
私が思う「真の知的な女」とは、情緒的にバランス良く成熟し、決して
感情的にならず、その場の空気を瞬時に読み取り、想像力豊かで自分が
今置かれている立場や状況を冷静に判断できる人です。自分が起す言動を、
ただの独善的自己満足ではなく客観的に見極め、場合によっては癒し系にも
セクシー系にも聖女にも悪女にも何にでも七変化可能で、結果、周囲を幸せに
する力のある女性・・・そんな「知的な女」を目指したいものです・・・って
無理だろうけどなぁ〜・・・。(笑)
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★ 天職 ★
鑑定依頼の中で、「自分にとっての天職が知りたい」という方が
多いのですが、天職は見つけるというよりも、努力し、辿りつくもの
だと思いますから、その為に必要不可欠なのは「継続」だと思います。
勿論、向き不向き、素質も大切ですが、たとえ占いで「学者に向いて
います」と言われても、学者になる為に一生懸命努力しなければ、
それなりの人生しか歩めないと思います。継続は力なりとも言いますから、
もし、「自分はこれに挑戦してみたい!」と強く思うものがあれば、
厳しいようですが、選択した自分を信じ、10年は続けてみます。
途中で飽きて他に目が行きそうになっても、なかなか芽が出そう
もなくて、挫けてしまいそうになっても、何とか10年続けてみれば、
その道のプロになる可能性は大きいと思います。・・・シンプルですが、
周りが憧れるその道のプロはそうやって、周りが遊んでいる時でも
着々と力をつけているように思います。短期間の努力はただの経験
で終わりますが、長く続ければ天職、使命へと変って行くように思い
ます。「自分にできること」を一生懸命続けた結果が「天職」だと
思いますから。
六十四卦の部屋の火水未済の卦にも書きましたが、人生を悔いなき
ものにする為には、手持ちの札を冷静に判断し、自分に一番相応しい
環境に向かう潔さが必要になります。自分が「したい事」と「できる事」が
一致している人は大変恵まれている人だと思いますし、こういう人は
稀だと思います。殆どの人が、「したい事」と「できる事」にずれを感じて
いると思いますし、また、この二つの違いやずれに気づくことによって、
選ぶべき道は自ずとハッキリしてくるはずです。手持ちの札を恨み、
「今の自分は本当の自分ではない」などと思っている限り、天職には
辿りつけないと思うのです。
『自分』という木をどこに植えれば一番順調にスクスク育つかをしっかり
見極める事。そして、見極めた自分を信じ、それに向かって継続する
力・・・・これが天職に辿りつく為の鍵だと思います。
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☆ 思いやり ☆
・・保険証を探しながら、「人間関係の難しさ」についてずっと考えて
いました。 どんな人間関係でも、最低限「思いやり」は大切
なのだと常々思っていますが、いくら思いやりが大切だと思っても、
それは自主的にそう意識するものであって、相手に図々しく求る
ものではないのですよね。 いくらこちらが「もっと思いやりを持って
接してくれたら・・・」なんて思っても、空しくなるだけですから。
そんな私だって、ある誰かにとっては「思いやりの欠片もない人」
として映っているかもしれません。
思いやりを持って接すればきっと相手も自分の事を思いやってくれる
だろうなどと考えるのは、幻想なのかもしれませんし、
結局は遠回しにエゴを押し付けるようなカタチになってしまうことも
あると思います。 そう考えるととても寂しい気持ちになりますが、
過去を振り返ってみても、やはりどうしてもお互いの譲れないところ、
思いやれないところが歪となって人間関係に問題が生じていたように
思います。一番悲しかった出来事は、離婚したことです。
お互いが激しく本音をぶつけ合った結果、それがいつまで経っても
心の中のしこりとして残り、口では「貴方のことを思って」だなんて、
カッコつけたことを言っていても、実は自分を守ることで精一杯だった
エゴ剥き出しの自分を今でも恥じてしまいます。
・・・「愛する為に愛されたい」というドラマがありますが(どんな
内容なのかは観ていないのでさっぱりわかりませんが)、私が考える
思いやりも、そのタイトルと同じで 「思いやる為に思いやってほしい」
という相手に対する遠回しの甘えが本音になるのかもしれません。
思いやりって、言葉にすることは簡単だけど、行動に移すのはとても
大変なことだと思います。相手の気持ちを察し、相手の身になって
考えることって、気持ちに余裕がなければなかなかできないこと
ですものね。 特に「自分は間違っていない」と我を強く出している時って
自分の感情を優先させがちになって、相手の不満や怒り、悲しみ等は
もしかすると自分が想像するものとは全く別のところにあるのかも
しれないというところまで冷静に考えられなくなってしまうものです。
・・・考えれば考えるほど、私という人間ってつくづくエゴの塊なんだなあと
情けなくなってきました。 ・・・と、なんだか暗くなってしまいましたが、
一時的な衝突や崩壊にいちいち動揺し、感情的になってしまう心の弱さを
克服し、余裕ある冷静な対応ができるようになりたいと、常日頃思って
いるのですが、きっとそれは、そうありたいという願望だけで終わって
しまいそうです。
・・・死ぬまで強情なエゴの塊のままって線が強いかもなぁ・・・・。(哀)
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