ho
| ☆ 仕事について ☆ 最近、恋愛についての相談と同じくらい、仕事についての相談をお受け するようになりました。 殆どの方が、仕事に何らかの不満を持っている もので、また、仕事が辛く苦しい時って、どうしても自分だけが苦しい ような錯覚に陥り、周りは皆楽しそうに仕事をしているように見えて しまうものですよね。 「マリアさんは、好きな仕事を楽しそうにされていて、とても羨ましいです。」 という声も聞えてきますが・・・ところがねぇ、そうでもないんですよ。(笑) 若かった頃(って、今でも十分若いですがね・・・アハハ) まだ占師に なって2年目頃だったかな・・・占いの仕事が辛くて辛くて辞めてしまおう と思っていた時期がありました。占師同士の人間関係や、お客様との トラブルが続き、「もうダメだ、やっぱ私にはこの仕事は向いてないんだ。 甘かった・・・」と、求人情報誌を片手に溜息をついていました。 その頃、 たまたまイベントのお仕事が入り、ずっと憧れていた先生と一緒のブース でお仕事をすることになったのです。 華々しい経歴とキャリアを持ち、 自信に満ちたその先生の姿にただ圧倒され、休憩時間に思わず、 「私、どうもこの仕事、向いていないようなんですよね。最近はただ辛い ばかりで、全然楽しくなくて・・・参ってるんです・・・。」 という、アホな事を口走ってしまいました。先生は突然の私の言葉に一瞬 驚いたような顔をしましたが、すぐに笑顔を取り戻し、 「ウフフ、仕事が楽しいだなんて、アナタ、そんなことあるわけないじゃない のぉ。(笑) だって、仕事よぉ?遊びじゃないのよ?マリアちゃん、まさか アナタ、楽しそうだからと思ってこの職業選んだの?」 ・・・私は先生のこの一言で、心がフッと軽くなりました。こんなにも華やかで、 自信に満ち溢れた先生が、「仕事が楽しいなんてわけないじゃない。」 と、 軽く笑い飛ばして下さったことで、ああ、それでいいんだ、別に楽しくなくても、 辛くてもいいんだと、とても楽になり、涙が出そうになりました。 きっと、 先生からその一言を聞かなければ、もしかしたら私は途中で占師を辞めて いたかもしれません。 「仕事ってね、一生懸命やればやるほど、辛いことも増えていくものよ。 でもね、仕事ですものぉ〜、辛くたって仕方がないわ。一生懸命やるしか ないのよ。」 最後に先生はそう言い残し、私の元を去りました。 誰かが 「死ぬ前に悔いはないと思う人って、笑う事も多かったけど、泣くこと も多かった人なんだ」 と言っていたことを思い出しました。 そう・・・仕事は辛いもの。真剣になればなる程、恋と同じで辛いもの。(笑) でも、辛い仕事だからこそ、素晴らしく遣り甲斐を感じることもあるのでは ないかしらね? 辛いからこそ、充実感や達成感も深く味わえるのでは ないかしらね? ・・・・・最近やっと、そう思えるようになってきました。 |
![]() |
| ★ 物には心が宿るものだから ★ 「エッセイの部屋の『物に宿る霊』を読んで、ふと思ったのですが、 最近オークションにはまっているマリアさんが、物を譲る時、何か 気をつけていることはありますか?」 というメールを頂きました。 物には持ち主の思いや気持ちが宿るものだと信じていますから、 幾つか気をつけていることはあります。まず、誰かに自分が使って いた物を譲る時に気をつけていることは、譲る時の私のコンディション、 状態です。簡単に言えば、今自分は幸せか不幸せかを考えます。 そして、自分が幸せな時に物を譲るようにしています。 幸せは 分かち合えるものですし、運の良い時に心のこもった品を譲る事は、 相手の方にもそのラッキーブレイク(幸せのかけら)のお裾分けが できると思っています。 それが、幸せな時の流儀(ちょっと大袈裟 かな)だと思っています。逆に、不幸な時には人に物を譲ることは 控えています。 念がこもる物で思い当たる物は宝石、人形です。人形は、持ち主の 心が強く宿ってしまう為、あまり譲ったり頂いたりはしない方が無難 ですが、宝石は、また違います。例えばある宝石を身につけていて、 願いが叶ったとします。勿論、持ち主の努力があったからこそ願いは 叶ったわけですが、願いが叶うまでの間、ずっと身近で応援し続けて くれた宝石に感謝し、少しの間、休ませるようにします。そしてその後、 できればその宝石を、これから幸せになって欲しいなぁと思う人に 譲ることをおすすめします。幸せになって欲しい誰かに譲ることによって、 その宝石はパワーを正しく発揮し続けられるからです。 ・・・「物に宿る霊」について書いてしまうと長くなりそうですので、また 時間があいた時にでも、開運の部屋で詳しいことを書いてみようと 思っています。 |
![]() |
| ☆ 涙 ☆ 朝、子供達や夫を送り出した後、さて、ルナネロにご飯をあげようと用意をし、 両手に器を持ち歩いていましたら、椅子の角に左足の小指を激しく打ってしまい、 声も出ないほどの激痛に両手を動かすこともできず、そのうちウウウと涙が流れ、 子供のように泣いてしまいました。(涙) 心配そうに見上げるルナ&ネロ。 些細なことですぐ涙が出てしまいます。 年を取って涙腺が緩くなってきてるのでしょうか。 子供が運動会で必死に走っている姿に、テレビ等の感動シーンに、 夫に「納豆なんて不味いものを良く食べられるな」と言われたのがきっかけで キィィィ〜〜!!!ヽ(`Д´)ノ っと激しい口論へと展開し、気づけば 怒り狂って口惜し泣きとか・・・^^; ・・・納豆ごときでムキになってしまう自分も情けないですが、そういう時には 涙がワーワー流れるというのに、肝心な時、例えば物凄い修羅場や これ以上の悲しみはないだろうという時には、意外と涙が出ないんですよね。 きっと緊張のあまり心が強張っちゃって、涙がフリーズしてしまうのかもしれません。 アメリカの映画に、魔女の恋の物語があります。 魔女は涙を決して流さず、恋もしません。 でも、魔女はある男性にイタズラで魔法をかけているうちに、本当にその男性に 恋をしてしまいます。 そのうち魔法をかけても効かなくなり、ふと鏡を見ると、頬に涙が流れていて・・・ 涙は武器などではなく、自分を癒し守る魂の分泌物・・・ のような気がします。 ・・・それにしても、足の小指って、ぶつけると物っっっ凄く痛いですよね〜(涙 我慢せず素直に涙を流しましたら痛さが和らぎました。^^ |
![]() |
| ☆ 与えられる愛、与える愛 ☆ スヤスヤ眠る娘の寝顔に安堵し、昨夜は早く眠りにつこうと思ったのですが、 目が冴えてしまい、なかなか眠れず、近々読みたいなと思っていました 札幌出身の随筆家、森田たまさんの『もめん随筆』を本棚から探すと、ベッド に持ち込み、横になりながら読むことにしました。 読んで行くうちに彼女の魅力にどんどん引き込まれ、読み難い旧字体なども 眠りを誘うどころか彼女の温かい生の声を感じるように心に響き、結局朝方 まで読み耽ってしまいました。 その中でも『愛情について』という文章に心を動かされてしまいました。 つい先日、子供たちと愛について話し合ったばかりですが、彼女はこう 書き記しています。 「人はただ愛されるばかりでは生きられませぬ。愛する事を知つてはじめて ほんたうに生活の正しい眼がひらかれるのではないかと存じます」(新潮文庫) その文章に、ふと、親の愛情に重圧感を感じていた昔を思い出しました。 心配され世話を焼かれることに対する鬱陶しさ、何故か湧き上がる苛立ち。 それらが嫌で嫌で、もっともらしい理由をつけて家を出たように思います。 今になってみると、なんて身勝手な、甘えた感情だったろうとしみじみ 思います。 今、こうして家庭を持ち、家族のことを心配したり、自然と世話を焼きたくなっ たりする立場に立ち、やっと自分を心配してくれる、愛してくれる人の気持ちも わかるようになってきました。 人間って与えられることだけを知り、与えることを知らずにいるのでは 森田たまさんもおっしゃるように、生活の正しい眼がひらかれないものかも しれません。愛されるだけでは息苦しくさえなり得るものですし、愛する誰かが いてこそ生きる力が湧いてくるものなのでしょうね。 体調を崩し私を頼る小さな娘も、そのうち私の愛情が鬱陶しいと感じる時が 来ると思います。 しかし、本当に愛する人と巡り合い、愛する喜びを知った時、 もしかしたら今の私と同じような気持ちを覚えるのかもしれません。 |
![]() |