☆ 逃げたライオン ☆
HP開設当初からいつも日記ではその奇行の数々を書かせて頂いていました息子ですが、
6年生になりました彼の最近のニックネームは「仙人」なのです。
どこか浮世離れしているようで、今時の流行にも疎く、友達の殆どが携帯電話をほしがり、
持つ中、息子は「面倒くさいからいらない」と、言ってます。
息子の場合、小さい頃から、誰かの真似をするですとか、友達と同じものがほしいと言う事は
なく、自分がやりたいこと、興味のあることのみに目を向け、また、周囲のやっていることに
いちいち批判がましいことを言ったり悪口を言う子ではありませんでしたし、自分がやっている
ことが正しいですとか主張したり、「お前もやれよ」のように、押し付けたりすることもありませんでした。
その辺りは、息子を見習わなければと、よく、夫や娘とも話しています。
今の世の中、昔とは違い、抱えきれない程の情報が溢れ返っています。そんな中、子供達は
自分は何を信じるべきか、何処へ行けばよいのか迷い、とりあえず、隣の子がやっていることの
真似をしておけば安心とばかりに、右へ倣い的環境に安住してしまうところがあると思います。
子供ばかりではなく、私達大人もそうかもしれません。
しかし、息子は迷わずシンプルに淡々と我が道を行き、常にとても楽しそうなのですよね。^^
(私自身、子供の頃から我が道を行くタイプでしたが、息子はもっと自分の意志を大切にし、
和して同ぜずの精神の強い子だなと思います。何だか今日は珍しく息子を褒めていますが・・・)
小学3年生頃から、息子はエコロジーに目覚め、彼なりに色々と調べながら、環境の為に実行
できることを、できる範囲内で楽しくやっている様子。
最近まで知りませんでしたが、息子に近所のスーパーなどへお使いをお願いする時、家庭科の
授業で作ったバッグを、エコバッグ代わりに使い、それでお買い物をしていたのです。
母親の私はいつも、レジ袋を当然のように使っていましたが、ある日、レジの女性の
「息子さん、偉いですね。いつもお手製エコバッグ持参で」
との言葉に驚き、息子に尋ねましたところ、
「うん。折角学校で作ったバッグが無駄にならないように、エコバッグにしてるんだ。」
とのこと。 それ以上は何も言いません。
こちらが息子が使っています↓、息子的エコバッグ。^^

「そっか、私もエコバッグ、使ってみようかな〜」と、話しますと、 「え?ホント??? あのね、
エコバッグ使ったら一回ずつポイントシールもらえたりするし、塵も積もればお小遣いにもなるから
結構楽しいんだよ。^^かーちゃんなら沢山バッグがあるし、あの、デカイバッグをエコバッグに
すればいいんじゃないか?」
と、息子が話すバッグとは、COACHのバケツ型の大きなバッグ。^^;
「・・・あ、アレはちょっと・・・(笑) でもそうね、大き目のバッグ、探してみようかしら。^^ アイデアを
教えてくれたから、エコバッグのシール、たまったらあげるわね。」
「やった〜♪」
それ以来、私は息子を見習って、大量のバッグの中からこのバッグを選び、マリア的エコバッグとして
使うようになりました。(^^

広げるとこんな感じに。^^

道徳も宗教も価値観全てにおいていえることですが、100人いれば100人が違った価値観で
生きているものですし、皆、其々自分の生き方にプライドを持って生きていると思います。
ですから、自分は絶対に正しいのだと思っていても、他人はなかなか共感してくれないことの方が
多いと思います。
絶対に善いことだから是非あなたもやってみてよと言われても、たとえそれが正しいことで素晴らしい
ことであっても、人の心はなかなか動かないものだと思いますし、しつこくすれば押し付けがましいと、
返って煩がられてしまうこともあると思います。
(大酒飲みの私に「お酒は身体に良くないですよ」と忠告するようなもので・・・)
まして、上からものを言うような、私が言うことを信じないあなたはおかしいとまで言われると、相手は
カチンときて、益々その人の言うことなど聴かなくなりますし、鬱陶しいと思い敬遠し始めます。
息子は呆れる程我が道を行き、友達大勢でつるんだりせず、また、友達の言うことをきかなかったり
するのに、何故友達が多いのかを考えましたら、それはきっと、自分が邪魔されたくない分、友達の
邪魔もしないからだと思います。
「おい、このゲーム、面白いからお前も買えよ。」 と、言われても、
「俺はそれ興味ないから買わない。他にほしいゲームがあるし。お前が面白いならそれでいいじゃないか。」
と、頑なに断わる子でした。
友達が遊びに来て、お菓子の紙くずを食べ散らかしても、友達と馬鹿笑いしながら人知れずゴミを拾い、
片付けます。それに気づいた友達は、「あ、悪いな。^^;」と、申し訳なさそうに言いますが、「ああ、気づいた
やつがやればいいから。(笑)」と、サラリと遊びに戻ります。
お部屋やトイレなどの電気を誰かが付けっ放しにしてあれば、何も言わず消しているのを幾度となく見ました。
(私なら、「誰がつけたの?!」と家族に問質すところですが・・・^^;;; 私だってついうっかりすることも
あるのにね。)
また、遊びに出かけていてどれだけ友達と盛り上がっていても、帰る時間になれば「家族が心配するから」と、
一人サッサと帰ってくる子でした。
最初は不思議がられましたが、だんだん息子のキャラクターを周囲は受け入れてくれるようになり、ああ、
アイツだからなぁ・・・と、微笑ましくも思ってもらえるようになりました。
・・・今回は随分とタイトルの前置きが長くなりましたが・・・
子供達に読み聞かせました、ジャータカ物語の中に、「逃げたライオン」というお話があります。
森に大勢の動物達が仲良く暮らしていましたが、ある日、森が火事になりました。
動物達は協力して火を消そうとしましたが、火はだんだん大きくなり、百獣の王ライオンは「火は消せないから
皆で逃げよう」と、提案します。そして安全な場で燃える森を呆然と眺めていました。
ところがよく見ますと、一羽の小鳥が一生懸命消火活動をしているのです。
沼へ行き羽を水で濡らし、2〜3滴の水を火の上に落とします。 焼け石に水状態な小鳥の消火活動に動物達は
半ば呆れ、
「やめなさい!危険じゃないか!! そんな数滴の水で消せるわけがない!馬鹿な真似はやめろ!!!」
と、大声で小鳥を呼び戻そうとします。すると小鳥はこうこたえます。 「ご忠告ありがとう。でも私はじっとして
いることができないのです。火が消せるか消せないか、そんなことは考えていません。今、私にできることだけを
しているのです」
・・・この話は一体、何を教えようとしているのか、私なりに考えてみました。 勿論、小鳥の態度には感服しますし、
偉いと思います。最後まで諦めず、自分が成すべき事をやっている、その態度は立派です。また、「火が消せるか
消せないかよりも、できることをしているだけ」という言葉も素晴らしいと思います。
わたしたちはつい、できるからする、できないからしない・・・と、頭で考えてしまいます。今更やっても無理だと
思うことは諦めてしまいますし、やれそうなら頑張ろうとしますが、小鳥は違います。
しかし、だからといって、何もせず呆然と見ているライオンたちを非難しなければならないでしょうか?
逃げようと提案したライオンは、功利主義、敗北主義だと哂えるでしょうか?頑張っても消せないし、危険だから
逃げた・・そういう彼らの言い分もわかります。
どちらが正しいか、正しくないか・・・ そういう考えこそ、正しくないように感じました。 小鳥は小鳥で立派です。
そして、ライオンも安全なところへ逃げた方が良いと判断を冷静に下したことは立派です。 どちらも正しいのだと
思います。
大切なのは、自分の価値観だけに執着せず、お互いの行動を「認める」ということではないでしょうか。
小鳥側に立てば、ライオン側を責めず、また、ライオン側に立てば、小鳥の行動を馬鹿にしたりせず、お互いに
わかってあげることが大事なのではと思います。
「ゴミのポイ捨ては良くない!!!」
そう思ったら、「お〜い、良くないぞ〜!」と周囲に叫ぶ前にまず、本人がそれをしないよう心がければいいの
ですよね。また、本人がそれをしないからといって、している人の所へ行き、厳しく説教をしてしまうと、
残念ながら今の時代は「何を偉そうに!」と逆切れされ、刃物沙汰になることさえありますものね。(恐)
息子のエコバッグの存在を知り、何事も、北風と太陽の太陽のように、謙虚で徳のある姿を嫌味なくサラリと
見せることができた時、人の心は動くものだとあらためて思いました。
折角善い事をしているのでしたら、そしてその善さを一人でも多くの人にわかってもらうにはまず、自分が信じる
善いことを(気持ち良さそうに)実行するのみですよね。 そうすることで周囲も注目し、何を楽しそうに
やっているのか訊ねたくなるものですし。
人は言葉より態度に動くものといいます。
ただ、声高に叫ぶだけでは、周囲は動こうとしないはずですし、(例えば江角さんの国民年金の宣伝も
そうでしたよね)また、その態度、姿を見て如何判断するか、決定権は周囲にあるのですから。
(息子がいうところの環境について考え始めたらキリがないですし、例えばテレビやパソコンなど大量に電力を使ったりすることも、
少しは控えなければいけないのかな・・・などと思ってみたり・・・ パソコンで仕事をしている私にはなかなか難しいことですけど・・・^^;;;
でも、たとえ少しの時間でも電源を切るですとか、ちょっと考えてみようかな〜なんて、思いました^^夜更かし@電力無駄遣いしている
私は大きなことは言えないので、小声で・・・(笑)ちなみに息子は早寝早起きなんですよね。朝は5時頃起床、夜は8時頃には就寝してます。
大変良いことですが、私には真似できません(涙))
2007年2月9日
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☆ 一人で食事をする ☆
一人で食事をする。これは女を磨くための修行と思い殆ど毎月一度だけレストランで
一人食事をとることにしています。一人で食べていると、絶対目立ちますし。、それがイイのです。
緊張感に繋がりますから。 周りの目が気になったら私の負け。何もしなくても間が持てるように
なればしめたもの。 悠然としていられれば勝負あったと密かに感じる。(勝ち負けの問題
じゃないんだけどね。フフフ) 目標は、そのレストランのインテリアとしてさりげなく溶け込める事。
出来れば一枚の絵になってしまうこと。 ここまで来れば最高です。 だってレストランで
一番格好良く見えるのは素敵な男性とお食事している女性ではなく、たった一人でも
悠然と食事を楽しんでいる女性だと思うもの。
アメリカに住んでいた時、それを痛感ました。 ゴチャっと群れてランチしている女性は
あまり見かけませんでしたが、悠然と、自分一人の時間を大切に楽しむ大人の女性を多く見かけ
ました。 それがとっても素敵だったのです。
で、今日も私は修行します。たとえ荒波にもまれようと恥ずかしい思いをしようと(って大袈裟?)、
人も羨むイイ女への野望を持つ限り、きっと私は来月もまた、とあるレストランへ一人、
戦いを挑むことでしょう・・・・。(笑)
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☆ 人は外見?中身? ☆
朝から晩まで一日中友達家族の家のパソコンに悪戦苦闘の
彼。 何度も日記に登場する息子の親友家族なんだけど、
「昨日イランからペルシャ語のWindowsが送られてきたので
パソコンに入れたいのだけど入れ方が分からないので助けて
ください」 とA君のパパに泣きつかれ、助けに行く事に。(笑)
ペルシャ語が読めない彼と、パソコンオンチのA君パパが
四苦八苦し、朝からパソコンとにらめっこ。(その間子供同士は
大喜びで遊び、妻同士は話に花が咲き・・・)
夕方やっとのことで無事ペルシャ語のWindowsがパソコンに
入り家族全員大喜び。早速インターネット上からイランにアクセス
してみると・・・テヘランに住むA君のパパの兄弟やお母さんの
声が次々届き、映像も画面のぶれは多少あるとはいえ、なんとか
テレビ電話のように会話ができたので向こうもこっちも大興奮。
・・・やっぱりメールもいいけど声でコミュニケーションしたいよね。
ネット電話ってとってもお得だと思うわ。 なんだか私もカメラと
ヘッドフォンが欲しくなってきた。(・・・って、誰と話すのよね?)
でも、今はまだこうして顔が見えずにメールやチャットが主流
だけど、そのうちすぐにビデオチャットも一般化するんだろうね。
ってことはネットのナンパもそのうち街中で声をかけるナンパと
あまり変わらなくなってくるのかな。容姿に自信のある人が強く
なっていくのだろうか・・・。繋がって盛りあがって顔を出した瞬間
「キャ〜ごめんなさ〜い、落ちま〜す((;´▽`A``」 なんてパス
されたらメチャメチャ哀しいよね。 ・・・人間は中身・・・とはいえ
やっぱり外見も大切。結局のところ、外見も中身も両方大事で
表裏一体で、要は一緒だから、その二者択一に結論が出され
る事は多分永遠にないように思うわ・・・・。 いずれにせよ
「今の自分に不足な方」を「より大切」にするのが外見と中身の
バランスを整える上で鍵となる気がするし。 外見か中身かを
問われ、明快な答えを出し、しかもその答えに恥じない自分で
いられる程人間って完璧ではないはずだものね。
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☆ 何故日記を書くのか? その1 ☆
何故日記を書くのか。 それはまず自分のため。 書く事によって、自分自身に問いかけ、
勝手に納得できることもあったりしますし。 そして、次にこの日記を読んで下さっている
皆様のため。ご縁があって、時折ここにこうして目を通し、何かを感じて下さっていると思い
ますから。
ある人にとっては、「星マリア使用上の注意」もしくは「星マリア取扱説明書」の役割をして
いるとも思います。顔も見えなくどんな人かもわからない謎の占い師に鑑定してもらうのは、
ちょっと不安がありますものね。ただ単に占法だけを紹介し、「鑑定します」と言われても、
如何言うタイプの人柄なのか、果たして自分との相性はどうなのか、ヤバイ人だったら怖いなとか、
躊躇すると思うもの。
私が書く日記などを読めば、だいたい私がどういった人柄か、多少なりとも理解して頂けると
思います。「なんだ、コイツ。生意気なヤツだな」 とか、「何言ってるの?アンタおかしいよ!」
と気分を害される方も中にはいらっしゃるでしょうし、「普通の人なんだ。 フーン」とか、
ひょっとしたら「変なヤツだけど面白いじゃん」などと様々に理解されると思います。
受け止め方は人それぞれ。 あとは読む側の判断に委ねます。 無理に理解して頂こうですとか
読んで下さいとは言いません。
ここで日記を書く最後の理由として、私は文章を書くのが好きだという事。
・・・うん、やっぱりこれに尽きるかも。書く事が好きじゃなきゃ、たとえ自分のためとは
言っても、続きませんよね。^^
☆ 何故日記を書くのか? その1 ☆
私は小さい頃から文章を書くのが好きで、だからこうして毎日
飽きもせず日記を書いているのだろうけど、でも、書くのと同じくらい
人が書いた日記を読むのも好きなんです。 今日はとても天気が良くて
どこかへ行って来たとか、こういう出来事があったとか、なんでもない
日常が書かれてある日記の中に、面白さを感じてしまいます。
一晩に数件のHPを転々とし、日記を読んで思うのは、当たり前だけど
書き手が違えば文面も変わり、其々の日常の風景もずいぶん
違ってくるものですよね。 その人の毎日がその人らしさや、個性そのもの
なんだなあと、感じてしまいます。 日記って、小説でもノンフィクション
でもなく、書き手の生活や思いなどがとてもリアルに感じ取れます。
そして、一番心を動かされるのは、書き手が「こんな時、こんな風に
思った、感じた」という、独自の考え方や、ものの見方など。
なるほど、こんな考え方もあったんだ、とか、自分の考え方、
価値観などに、新鮮な風をスッと吹き込んでくれる事が多々あります。
文章って、説明より描写が大切ですものね。
・・・もうすぐここに日記を書き始め、一年になりますが、改めて読み返して
みると、私は出来事や事実を書き記すことはあまりないようです。
その日に思ったこと、感じたこと、考えたことなどをつらつら書くような、
心のメモ帳と化しています。 心の中でカタチにならず消えていきそうな
思いを文章にすることは、自分と向き合う為の手段にもなるし、
書くということで、新たな自分を発見できることもあります。 こう忙しく
日々生活していると、なかなか自分の心内を冷静にチェックすることも
なく、あっというまに時は過ぎ去って行き・・・。 だから、私にとって日記を
書くということは、ここは大切、これは要チェック、ここは忘れちゃ駄目
という風に、人生に貼る付箋のようななものかもしれません。 そして、
付箋を貼ることによって、自分自身を確認しつつ、忙しい日々を大切に
過ごす為の大切なプロセスとなっているのです・・・・。
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