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                         ☆ 親しい人への思いやり ☆


               時々、私はその親しさに甘え、大切な友達や身内、それに何と言っても
               一緒に生活を共にしている夫や子供達に負担をかけてはいないかと
               振り返ってみる。 
               人間が生きる基本姿勢として、どうしたら相手が自分と一緒にいることで
               心地よくなれるかと、まずそのことを考えなければ、親子でも夫婦でも、
               一緒には暮らせなくなってしまうと思います。 友達関係も、相手への配慮ナシに
               「何かをしてもらうのを期待する」ばかりでは、相手を疲れさせるだけですし、
               また、それが当たり前と思ってしまう厚かましい言動は、どんどん人を遠ざけて
               しまうことになると思います。
               自分は何もせず、相手へ求めるばかりになってしまうと、男でも女でも
               あまり好感が持てません。 こんなことを言ったら相手はどう思うか?
               こんなことをしたら相手は嫌がるだろうな・・悲しいだろうな・・ と、相手の
               事を考えられる思いやりやいたわりの気持ちって、人間関係の基本だと
               思いますし。 
               子供に躾る場合も、「自分がされて嫌だな、悲しいなと思うことは、
               人にしてはいけないのよ。」 ということをその都度教えるようにしています。
               相手の気持ちを思いやるという想像力を働かせることって、すぐには身に
               つかないものだと思いますから。
               ・・・子供に言い聞かせている時、ふと自分自身も、相手の都合も考えず、
               して欲しいことばかりを望んだり求めたりしてはいないかと、自分自身に
               問いかけてみたりしhています。 そこそこのお願いなら誰しもあることだと
               思いますが、欲張った気持ちが心の中に無意識に存在することって、大人に
               なってもありますものね。 付き合いはじめのころは、まだ相手もハイハイといって       
               くれるかもしれないけど、そのうち相手もだんだんわずらわしくなり、
               会うのも嫌になってきてしまうかもしれません。付き合いが長くなれば
               なるほど、ちょっとした気の緩みから甘えが出て、しまいには本性が
               出てしまう。・・・ぞっとします、それが愛している人に向けた感情だと
               したら。 
               人間関係を深くスムーズにさせたいなと願うなら、必要以上に相手に
               甘えすぎたり、要求したりせず、与えることの努力もするように心がけ
               なければ・・・と、反省しなければと思います。 何事もバランスが大切
               ですものね。
               私という人間は、相当わがままにできてるので。。。日々反省です。(汗)

               で、今日の誕生花の花言葉、「思いやり」 を、深く考えてみたのです。






























































 

                   ☆    本当の友達     ☆


       「オマエは最高の友達だ〜!!!」

       昨夜、息子の大親友A君が、帰りの車の窓から顔を出し、手を大きく振り大声で叫んで
       いた言葉でした。 その言葉に息子は感激の涙・・・。

       昨日は日記でも長〜いこと時折登場しています(近い日では3月29日に)A君親子が
       遊びに来たのでした。 A君と息子は幼稚園の頃からの幼馴染で、何故かとってもウマが
       合い、喧嘩や絶交を何回も繰り返しつつ、引越しをしても尚、お互いにとって今やかけがえの
       ない大親友になっているようです。
       「K君K君って、そのうちK君と結婚するんじゃないの?なんて周りから言われてるのよ〜。(笑) 
       他の友達の前では格好つけて構えてばかりなのに、K君の前だとまるで兄弟みたいに
       心許して安心して遊んでるものね〜。^^」
       と、息子達がご縁で仲良くさせて頂いてます、今や私にとっても親友のひとり、A君のお母さん。
       子供達の計画では、同じ大学を目指して一緒に住もうということになっているらしいですが、
       本当に、良い友達に恵まれたわねと、A君のお母さん@Aちゃんも私も、息子達二人の様子を
       微笑ましく見守っています。^^
       
       こんな風にひとりでも、ありのままを理解し合い、許し合える友達がいることって、人生にとって
       とても貴重で有難く、嬉しいことですよね。 良い面も悪い面も全て含めたありのままを受け
       入れ合うことって、言葉でいうのは簡単ですが、なかなかできることではないと思います。 
       たとえ縁があって誰かと知り合いになったとしても、その殆どはこかに取り繕いがあったり、
       少しでも相手に良く見せようとする見栄や構えがあったりするものだと思いますが、ありのまま
       というのは、その人の前に出た時、取り繕わなくても良い、構えなくて良い自然な状態で
       いるということですよね。 自分の才能をひけらかして認めてもらおうですとか、持ち物や経歴、
       容姿を比べようとか、バカにされないよう用心するですとか、相手と張り合ったりせず、
       自分の弱点も隠さない関係・・・ 大人になると相手の名刺に書かれてあることばかりに
       気を取られて、なかなかありのままを素直に理解し合える関係って、築くことが難しくなる
       ように思います。

       また、日頃仲の良い友達というのは、どうしても自分と比べてしまうことも多くなると思います。 
       例えば息子が転校先の学校で、新しい仲間がすぐにできたことを知ると、自分はなかなか
       友達ができないと思うA君は、素直に息子の新しい仲間を喜べず、
       「オマエは誰に対してでもいい顔するヤツだからな」
       というように、ついイヤミが出てしまうこともあったり、また、逆に最近どんどん学校の成績が
       上がり喜ぶA君の様子に、
       「何だよアイツ、成績の自慢ばかりして面白くね〜の! ど〜せオイラはバカですよ。」
       と、イライラしてしまったり。
       彼らのような嫉妬の気持ちって、大人になった私達の気持ちの中にも同じように起こり得る
       ことですし、嫉妬は良くない、醜い感情だと無理に押し殺して良い自分を装ってみせても、
       それではかえって不自然な偽善の世界を作り出してしまうのではと思います。
       もっと素直に、自分は嫉妬する存在なんだ、ということを認め、友達だってきっと同じ
       なのかもしれないということも配慮する気持ちの方が、嫉妬心を無理矢理押し殺すよりも
       大切なのではと思います。 人の心の中って、嫉妬心だけではなく、後悔したり反省
       したりする気持ちもあるはずですから、友人の成功を素直に喜べなかった自分の態度を
       素直に見つめなおし、ああ、大切な友達なのに、あんな嫌な態度を取ってしまって、
       悪いことをしてしまったな・・・恥ずかしいことをしてしまった・・・きっと哀しい気持ちにさせて
       しまったな・・・ という後悔を経験することで、次はもっと快く笑顔で喜んであげられるよう、
       気持ちに余裕を持たなければ、ですとか、逆に自分だって迂闊な喜びの表現によって、
       知らずに友達を惨めな気持ちにさせてしまってたこともあったな・・・と、反省したりもできると
       思います。 
       そういう気持ちを言い訳したり取り繕ったりせず、素直に相手に伝えることで、関係もそれまで
       以上に深まるのではと思います。
       このように、それまで気づかなかった自分自身の心の動きを色々経験させてもらえる本当の
       友達の存在って、とっても貴重ですね。

       お互いのありのままを受け入れ合い、自由と発展を快く受け入れ合える友達関係・・・ 
       簡単そうで、築くにはかなり難しい関係ですが、本当の友達の理想はこの辺にあるの
       ではと、柔軟で純真な息子達の友情に触れ、あらためて思っています。
































































 

                ☆   相手に温かい関心を寄せること   ☆


       「私には心を開いて何でも話せる友達が一人もいません。マリアさんと同じで旦那が転勤族
       ですが、私も娘も内向的で、幼稚園でもなかなかママ友達もできません。(前に住んでいた
       ところでも、人間関係がとても苦痛でイヤになりました) どうすればもっと楽に自分に合った
       友達を作ることができるのでしょう。 なんて、こんな幼稚なメール、マリアさんも困りますね。 
       17日の日記、羨ましいなと思いました。」

       今朝、日記を読んで下さっているHさんからこのようなメールを頂きました。
       (Hさん、いつも読んで下さってありがとうございます。^^)
       
       私を含め誰でもきっと、メールを下さったHさんと同じように、心を開いて何でも話せる友達が
       欲しい、自分をわかってくれる友達が欲しい、と、強く願うのではと思います。 とはいえ、
       自分が寂しいから、間が持たないから、ひとりでは不安だから・・・という理由で友達を
       求めてしまうと、相手への関心よりも先に、そういった自分の気持ちに関心を向けてしまう
       ことになると思いますし(恋愛も同じですね)、そんな風に自分に向ける関心@寂しさ、孤独、
       友達を作りたい!という強い気持ちは一旦横に置いて、先ずは周りに関心を持つよう気持ちを
       切り替えますと、今まで見落としていた色々な発見ができるのではと思います。 
       人と人との出会いって、言葉を交わすより前に、何か、目に見えない心の波動や気配の
       ようなものを微妙に感じ取り合い、自然に言葉を交わすようになるのではと思います。 
       相手に温かい関心を寄せた時、たまたま振返ってくれた相手も自分に心を
       向けてくれて、そんな風に不思議なご縁の作用があった時、自然に歩み寄るきっかけが
       用意されるのではないでしょうか。
       そんな時は、相手の前でどう振舞おうか、何を喋ろうか・・・自分は相手からどう見られて
       いるのか、こんなことを話したら変に思われないだろうかなどという自分のことは、一切考えて
       いないものですし、ただ純粋に、この人と言葉を交わしてみたい、この人のことをもっと
       知りたいという、ピュアな関心を相手に向けていると思います。 しかし、
       
       「この人と付き合えたら一人ぼっちから解放される」 
       「こんな社会的地位の高い(学歴の高い)友達がいたら自慢できる」 
       「この人と付き合ったら得(損)だわ」

       こういった動機が根本にあると、いくらその動機を隠そうとしても、不思議と周りやその相手
       にも、気持ちは伝わってしまうものですし、何でも話せる友達はいつまでたってもできないのでは
       と思います。
       
       小さい頃から引越しが多く、今まであちこち転々としてきましたが、新環境で友達を作る
       何よりの方法は、この土地で自分はどう思われるかということよりも先ず、「相手に興味を
       持ち、温かい関心を寄せること」に尽きるのではと思います。
       友達ができない、できるだろうかという自分の後ろ向きな不安や心配ではなく、何でも話せる
       友達を作らなきゃという焦りや期待も横に置いて、あの人素敵だな・・・という純真な関心を
       外に向けることで、自然に前向きな明るいオーラが出ると思いますし、不安なく話しかける
       こともできると思います。(とはいえ最初はいつも緊張しちゃいますが・・・)
       もし、その気持ちに相手が応えてくれたなら、そこからご縁は自然に結ばれると思いますし、
       また、時にはいくらこちらから働きかけても残念ながら一方通行になってしまうことだって
       あると思います。(きっと、人間関係って、片思いや一方通行の方が多いのではと思います・・・ 
       私も何度も振られましたから・・・) 
       たとえご縁が結ばれなくても、何が悪かったわけでもなく、ただ単にご縁がなかったのだと
       思えば良いことですし、ご縁って、何か人知の及ばない妙なタイミング次第なところも
       ありますから、無理に結ぶものでもないですしね。

       何でも話せる友情って、最初から何でも話せたわけではなく、きっかけは相手に温かい
       関心を寄せるところから始まって、少しずつ心の交流を積み重ねるうちに、
       自然に信頼を深め、気づけば何でも語り合える仲になっていた・・・というものだと思います☆

       ・・・なんて・・・ また偉そうなことをまとまりなく長々語ってしまいました。^^;

























































 

                         ☆ 自分を哲学してみる ☆


                時々、「自分って何なんだろう?」という、漠然とした疑問にぶつかる
                ことがある。(・・これって、私だけ?) 特に人間関係のトラブルがあったり
                恋人と別れたりした時、自分がいったい何をしたいのかが見えなくなって
                しまう。 ・・・まあ、いいか、と疑問を先延ばししたり、考えないようにして
                通りすぎることもできるけど、「自分って・・・?」という想いがどうしても心から
                消えてくれないこともあるんだ。「自分って一体何だろう?」と考えはじめると、
                大体が見たくない否定したい自分と対面せざるを得なくなる。 本当の自分が
                見えてくるのはたぶん、その段階を過ぎた後なのよね。 
                見たくない自分とは、自分の抱えている問題と直結している、例えば
                恋人との関係や仕事、人間関係の確執などにおいて、原因を自分の中に
                見つけるのではなく、相手の中や社会のしくみの中に見出そうとしてしまう。
                それは、実は自分の中に原因があるということに気づいていて、傷つくことを
                回避する防衛本能だったりするのかもしれない。だから、他者との関係を
                常に自分の内面と照らし合わせて考えてみるという、アプローチ(?)が必要
                になってくる。 恋人は何故不機嫌なのか?私のどういう点が不機嫌にさせて
                いるのか?どうして私はそういった態度をとってしまうのか?などなど、そんな
                風にアプローチしてみることも大切だったりする。 
                さて・・・ こんなふうに自分をプチ哲学するには、まず、色々な本を読んでみる
                のも良いと思う。心理学や哲学の本をベースに、自分がどんなパターンに
                陥っているのかを、冷静に分析してみる。 文学でも恋愛小説でも伝記でも
                何でも良い。自分がどんな部分で共鳴するか、泣いてしまうか反感を持つかを
                知ることは大切なんだよね。
                「自分のことは自分が一番良く知っている」と、人は良く言うけど、私は
                それを自信満々に言う人ほど、自分が見えていないのでは?と思ってしまう。
                見たくない自分というのは、意気地なしだったり、怒りに充ちていたり、狡猾
                だったり、流されやすかったり、異性に屈してしまう傾向があったり、
                自己評価が低かったり・・・そういったネガティヴな自分であるものだから・・・。
                たとえば、「私はすぐ感情的になるのよ、全くやぁねえ・・」と笑って言える
                のとは違う。 トラウマと呼ばれる意識の奥底深くに埋もれてしまった心の傷
                (ちょっと大袈裟かな)に触れることも少ないから、だから、「自分をあえて哲学
                してみる」という作業は実はちょっとつらかったりするものなんだなぁ、これが。