★ 被害者意識 ★
「おかーちゃん、私、今日学校で傷ついちゃった・・・」
娘が学校から帰って私に愚痴るベスト3にこの言葉が入っています。(笑)
息子は良くも悪くも(笑)図太い性格なのですが、娘の場合、傷つきやすい
性格といえば繊細なイメージがありますが、「被害者意識」が強くなって
しまうタイプなので、話をじっくりきいてみなければ、娘の言分だけだと、
100%傷つけた相手が悪いになってしまうのです。
「Mちゃんがね、私にバカって言ったの。謝らないんだよ。もうあんな意地悪
な子キライ!」
「・・・そうなの?でも、Mちゃん、何もしない子にバカなんて言わないはずよ。
何かしたんじゃないの?」
「ううん、私何にもしていないよ。ひどいでしょ?」
「・・・じゃあ、Mちゃんがバカって言う前、何をしていたの?」
「・・・Mちゃんのお姉ちゃんに抱っこしてもらっていたの・・・。」
「ほら、それよ。きっとMちゃん、お姉ちゃんを取られたと思って寂しかったん
だと思うわ。」
・・・娘の意識の中では「自分が大切にされるのは当然」というところが
あるので、些細なことでも「傷ついた」「無視された」「意地悪された」など、
いつまでも根に持ってしまうことがあるのです。 まだ小学一年生ですし、
これから色々なことを経験し、人間関係、お友達関係を学んで行くと思うの
ですが、大人になってもやたら傷つきやすい人って、たまにいますよね?
何気ない一言にも激しく動揺し、傷つく相手だと、さわらぬ神に・・・じゃない
ですが、何に傷つくかわかりませんから、言いたい事も言えませんね。
例えば「元気のいいお子さんですね。昨日は戦いごっこでもしていたの
かしら・・・?」と、マンションの下の階に住む方に言われたとします。
図太い人なら、「子供なんだからやかましいのは仕方がないわ。」と思うでしょう。
人とのお付き合いを大切に考える人なら「ごめんなさい、音が響きますよね?
子供達にもしっかり言いきかせて気をつけますね。」と、言うでしょう。
傷つきやすい人は、子供の出す音に対し、この世の終わりかというほど
恐れ入ってしまい、「子供がうるさいと言われた。きっと、躾の行き届かない
勝手な親だと思ってるんだわ。嫌われた。きっと私のことを噂される。もう
ここには居たくない。引っ越したい・・・」と悩み、下の階の住人を悪者に仕立て
上げ、「やかましい、出て行けと言われた」とばかり、あちこちに愚痴を言う
ことになる場合も・・・。
・・・人間関係を円滑に気持ちよく保つには、思い込みの激しさや過剰な
被害者意識は邪魔になるだけですよね。 何気なく忠告されたり、
間違いや勘違いを正された時などは、「プライドを傷つけられた」、「恥を
かかされた」、「意地悪された」と、否定されたようにとってしまいがちですが、
もう少し冷静になり、謙虚な気持ちで相手の好意を受け止められる余裕が
あってこそ、大人なのだと思います。
人間は生きているだけで知らず知らず他人に迷惑をかけているものだと
いいます。迷惑をかけあう人間同士、その都度我が身を振り返り、上手に謝り
ながら直すところは直すようにし、逞しく生きて行きたいものです。
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☆ 焦らず躍起にならず ☆
最近占いの仕事をしていて感じることは、20代〜30代にかけては人生のうちで
女が全てにおいて一番焦る時なのではないかいうこと。結婚でも仕事でも出産でも
何でもいいからとにかく何かに決着をつけようと躍起になってしまう。
しかし、そんな風にテーマを一つに絞り必死になりすぎてしまうと、どんどん視野が
狭くなり、その事以外は全く見えなくなってしまう。
手のひらを顔にくっつけてみても、手は見えない。運命も見えなくなってしまう。
今、起きている全てのことは、長い人生のほんのプロセスにすぎない。女の人生って
と〜っても長く濃いもので、その途中にはゴールなどどこにも存在しない。
一生懸命何かに力を注ぎ、それを成し遂げた時、そこで人生までもが終了する
わけではない。 結婚も出産も育児も離婚も再婚も仕事も介護も何でも起り得る事
全ては人生の途中経過。 「あの頃に戻りたい」「若い頃は良かった」「独身の頃が
一番楽しかった」など、自分のピークが昔にあるという考え方は、私は好きではない。
だってそんな風に考えてしまうと、今、自分がここに存在している意味がなくなって
しまうものね。
過去の栄光にしがみつかず、未来を焦り視野を狭めず、今の人生を風が通りすぎる
ようにサラリと生きて行けたら素敵だなと思う。
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☆ 客観性 ☆
いつだったか、日記書きさんへの100の質問に答えていた際、
ウェブ日記で大切なことは?(?だったかな?)という質問に
「客観性」と答たことがありました。ナルシストな私にとって、常に
自分を客観視することって、非常に大切なことなんですよね。
気を抜くと未だについ「自己陶酔」に陥ってしまうことが多々ありますし、
(こうして個人のHPなんか持っちゃうと特にねぇ?危ない危ない。
自分の書いた駄詩なんかに酔いしれ酔っ払い、ナルシストの
極みになっちゃいそうだわ)、若かりし頃なんかもそれで随分失敗
しましたもの。(笑)特に恋愛関係などでは、つまらない男に入れあげ
た時に限って客観性を失ってしまうもので、周りからは「やめときな」と
口を揃えて強く言われていたにも関わらず「あの人を理解できるのは
このアタシだけ・・・」とばかりに甘く切ない思いに陶酔していたものです。
月を仰げばあの人を思い、あの人を思う自分に酔い・・・とまあ、
そんな恥ずかしいことを恥ずかしげもなくやってのけられるのって、
やっぱり客観能力欠如に尽きると思うのですよね。
・・・そんな私も私なりに成長し、どんなドラマチックな出来事が訪れ
ても「客観的に見なければ」ということを実践する心の余裕を確保
しようと習慣づくようになったんですよね、難しいことですが。
・・・状況に酔うということは、自己批判の入り込む余地がなくなって
しまうことで、カッコよく感じるのは本人だけの場合が多く、周りからは
「キモイ」とさえ思われてしまうこともあり得ますよね。(笑) そう考えると、
昨日はじめて見た「愛する為に愛されたい」の、陶酔する黒木瞳の舞には
唖然としてしまいましたが・・・。
・・・と、私は何が言いたいのでしょう?そう、客観性。
客観性が必要なのは、恋愛も美容も同じですよね。周りが見えない
独り善がりの時って、なかなか綺麗になれないし、成長も期待できない
と思います。恋は盲目・・・といいますが、目を何かに近づけすぎると
ボヤ〜ンとぼやけて見えなくなってしまうように、陶酔している時って、
ぼやけ過ぎて全く何も見えていないのかもしれません。
綺麗になりたい時こそ、愛を深めたい時こそ、注目されたい時こそ、
沸々と湧き上がる「ビバ自分」精神を宥め抑制し、代わりに自分自身を
客観視できる冷静な心の目を養うことが大切なんですよね。
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☆ やっぱり大切な人の為に頑張りたい ☆
・・・先日、あるテレビ番組の調査で、「今、プレゼントを贈るとしたら誰に
贈りたいですか?」という質問に対し、「自分に」と答えた方が多かったのが
とても印象的でした。
ここ最近、「自分指向」「自分主義」の方々が増えていますよね。 例えば、
「頑張った私へのご褒美に〜〜」、「自分流の〜〜」・・・・等、「私って」、
「自分としては」「私的には」という言葉で溢れている気がします。
自分を表現したいという気持ちは誰にでもありますし、自分を大切にする、
自分自身を愛することは大切なことだと思います。 しかし、自分を癒し、
労わるあまり、自分を過保護にし過ぎてしまうと、次第に 「無理に頑張らなく
ってもいいよ、私。」なんて、自己愛ばかりが膨れ上がって、良い意味での
ハングリー精神だとか、向上心が生まれ難くなってしまうような気がします。
SMAPの歌じゃないけど、「ナンバーワンじゃなくても、私は特別なオンリー
ワンなんだから・・・」の度が過ぎると、「だから別に努力しなくたって、
今のままでいいじゃん?」ってことになってしまいそうな・・・。(って考えすぎ
かな?)
・・・例えば、「誰かの為に頑張りたい」という意識は、今時はあまり流行ら
ないのかもしれませんね。 でも、「私って〇〇な人だから」「私が好きなの
は・・・」「私としては・・・」と、自分のことばかり一生懸命話す人って、あまり
魅力を感じないと思います。(とはいえ、私もこうして自分のHPを持ち、
マリア的云々を偉そうに語っていますので、自分自身への戒めも込めてですが・・・)
例えば大切な誰かの為に自分を高めようとしている人って、とても輝いて
見えますよね。 大切な誰かに向けて何かをすると決めた時、人は驚くほどの
エネルギーを発揮できるものだと思います。そうやって努力した結果、
人はその相手だけではなく、多くの人に受け入れられるような魅力を持つ
ものだと思います。 自分にとっての心地よさや幸せばかりを求めて、
それらを大切にし過ぎていると、人間の進歩はそこで止まってしまいますよね。
自分以外の愛する誰かの為に努力し、頑張ることって、結局は回り回って
自分自身の成長にも繋がるものだと思います。 ・・・今の「癒しを求める」時代、
膨れ上がった自己愛で自分自身を麻痺させないよう、気をつけなければ。。。
と思う今日この頃です。
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