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                     ☆ 土足禁止の車 ☆

     
    昨夜からHPの調子が悪くて、せっかくアップしたはずの不思議体験の話が消えているし、同時に
    アップした短編集の部屋がおかしくなってるし・・・。不気味だわぁ・・・。(恐)
    占師友達が夏バテで苦しいと助けを求めてきたので、久々助っ人鑑定してきました。 8人ほど
    お客様を鑑定した後、事務所のお兄ちゃんに駅まで車で送ってもらうことに。 
    お兄ちゃん自慢の愛車はなんと土足厳禁でした。久しぶりだわ、土足厳禁車に乗ったのは。
    今日はクルクルっと足首を巻き上げたサンダルを履いていたので、車のシートで脱いだり履いたり
    がとても苦しい。助手席の足元に置いてある坂角えびせんの缶のふたが裏返ってる物悲しさは、
    せっかくの自慢の豹柄絨毯が褪せて見えるよ。・・・お兄ちゃんは彼女を乗せる時も土禁に徹して
    いるのだろうか?夏はサンダルを、冬はブーツを脱がせたり履かせたりするのだろうか?
    ・・・送ってもらってこんな事を言うのは大変失礼なんだけど、面倒くさがりの私はやっぱり土禁の
    愛車を持つ彼の彼女にはなれないなぁ・・・と、車を降りる際、サンダルを履くのに悪戦苦闘し、
    スッ転びそうになりながら呟いたのでありました・・・。(笑)






























































 

                      


               ☆  恋愛映画や小説や・・・   ☆


   やはり息子も胃腸風邪でダウン。子供達が眠っている間、久しぶり大好きな
   フランス映画を観ました。 官能的でコッテリとした美しさに惚れ惚れ〜・・・。
   恋愛小説を読んだり、恋愛に関する映画を観る事は、恋について人々の考え
   に触れることができ、勉強になる部分は多いかもしれませんよね。主人公と
   一緒に一喜一憂し、擬似体験することによって、恋に関する知識が増えますし。
   ただ、恋愛小説などでも乱読は良くないと思います。乱読は、様々な恋の
   サンプルを詰め込むだけの結果になって、自身の実生活ではあまり役に立た
   ないものですし、むしろ読んだばかりにマイナスになるケースも少なくないと
   思いますから。 いくら多くの恋愛小説を読破しても、全ての恋の類型を網羅
   することは不可能ですものね。 それに、「事実は小説よりも奇なり」といいます
   が、全くその通りで、現実の方が思いがけないハラハラドキドキが数知れず
   あったり、どんなに素晴らしい恋愛小説にも勝る、心に残る強烈な体験ができる
   ものですから。擬似体験は所詮擬似体験。本物ではないものね。ただ参考に
   なるだけですから。実際、自分自身の経験を振返っても、恋をする度、
   自分の知識の中にある類型のどれにも該当せず、途方に暮れたものです。
   でも、途方に暮れる度、知恵は増えたと思っています。
   本や映画は受動的に読んでいる限りでは、お金を払った分の娯楽に終わっ
   てしまいます。それでも知識だけは収集できますが、それをいかすことができ
   ないのなら勿体無いと思います。大切なのは、乱読ではなく精読することで、
   本に書いてあることを鵜のみにするのではなく、自分自身で積極的に考えながら
   読んでいくことですよね。そうすると、それぞれの場合に応じてどのように対処
   すべきか自分で考える力がついてくるものですから。
   ・・・などと偉そうに書いてしまいましたが、私が恋愛映画を観る時は、内容
   よりも女優のファッションや仕草に気持が行ってしまいます。若い頃はそれでも
   「も〜〜〜、どうしてそこで追いかけないのよぉ〜〜〜!」等とすっかり著者や
   映画製作者がニンマリするような思うツボにはまり、ヤキモキしていましたが、
   そういうところに感情移入する情熱は冷めてしまったのでしょうかね。「あら〜、
   このコルセット、セクシーで素敵ねぇ〜・・・でも裸になるにはちょっと時間が
   かかりそうね〜・・・。」などといつのまにかピーコのファッションチェック状態で
   観ているオバモードの自分を客観的に見て、ちょっと情けなくなりました。(哀)

  



























































 



        ☆   もう待たない   ☆


    恋をし、お付き合いをするようになると、どうしても自分の気持よりも、
    相手の気持ちを優先させてしまうようになりますよね。特に自分から
    好きになり、告白してOKをもらえた時などは、嬉しさの反面、
    「・・・こんな私を好きになってくれて、付合ってもらえて悪いわ・・・」
    などという申し訳ない気持になり、結果、相手に振回されたり、自分を
    粗末に扱ってしまうことになって・・・。
    その昔、憧れの男性がいました。(日本人には珍しく、顎が割れていた
    のよね〜♪) 見ているだけで十分幸せで、まさか私とご縁があり、
    恋愛まで発展するなどとは夢にも思っていませんでした。 
    あるバレンタインの夜、思い切ってダメもとで告白しましたところ、なんと
    あっさりOKをもらえてしまい、戸惑いながらまさかのお付き合いが始まり
    ました。 「こんな私なんか絶対に彼とは釣り合わない・・・」 などと、
    自分に全く自信が持てなかった私は、嬉しい反面、彼の気持ちが変わっ
    てしまわないか、別の女性へ行ってしまわないかなどと、常に不安で
    いっぱいでした。なのでその頃の私は、彼中心の生活をしていたのです。
    例えば電話。彼からの電話をひたすら待つ日々。今のように携帯電話
    がない時代でしたし、いつかかってくるかわからない彼からの電話を、
    お風呂の時やトイレの時でさえも必ず子機を側に置いていました。
    「明日電話するから」
    なんて言われると、もうその日一日は彼からの電話のことで頭が
    いっぱいで、何をしていても意識は電話の方へ向き、もしその日彼から
    の電話がなかったものなら、不安と哀しみでドンヨリ落ち込んでいました。
    彼が突然デートの日程を変更したりすれば、その日時に会う約束を
    していた友達をキャンセルし、彼の方を絶対的に優先していました。
    そのうち友達は減り、益々孤独感は募り、気づけば彼に縋るしか
    ありませんでした。 
    「最近あの男と付合ってからおかしいよ。」と、友達に忠告され、それでも
    私にはその自覚がありませんでした。
    「どうして自分から電話しないの?別に不倫してるわけじゃないんだし、
    かかってくるのをただ待つだけなんてオカシイじゃん?」
    それも十分わかっていました。でも、それ以上に彼に迷惑がられる事を
    異常な程不安に思っていたのだと思います。しつこい女だと思われたくない、
    彼に必要とされなくなったらどうしようなどと、彼を失いたくない一心で、
    自分の気持をひたすら殺していたのだと思います。
    「でもさ、それで幸せ?悪いけど私にはそう見えないけど。」
    その通りでした。無理矢理押し殺された感情が、心の底で悲鳴をあげて
    いましたから・・・。
    そんなある日、私はもう「彼を待たない」ことを決意しました。ありのままの
    自分を認めてくれなければ、それまでの人だったんだと、腹を括ることに
    したのです。伝えられない、聞くこともできない関係に、ほとほと疲れ果てて
    しまったのでしょうね。
    自分の気持を素直に出すようになってからは、緊張感が解れ、憑き物が
    取れたような、随分楽な気分になりました。 都合の悪い日はデートの誘い
    を断ったり、自分から別の日を提案したり・・・電話も待たずにかけられる
    ようになりました。 ・・・その彼とは結局その後長くは続きませんでしたが
    (結局ふられてしまいました。『意外と我侭な女だった』というのが理由だそう
    です。彼の友達がそう言っていたそうな)、「自分の意志を持つことの心地よさ」
    が実感でき、「相手に合わせる関係」が、どんなに辛く苦痛なものかということ
    を思い知らされ、今、改めてその昔を振返ってみると、とても貴重な経験だった
    と思います・・・・・と、長々と書いてしまいましたが、どうしてこんな過去を思い
    出したのかしら?・・・メール鑑定をしていて、ふと思い出してしまいました。

































































 



               ☆   執着心   ☆


    愛することと、執着することは別物とは言っても、愛する男に突然
    別れ話を切出されたりなんかしたら、泣いて縋ってしがみついてしまう
    ものですよね。 相手に執着してしまうのは、その相手に自分の存在
    を依存してしまうからで、相手が去ってしまうことによって、自分という
    存在が跡形もなく消えてしまいそうな、死ぬほど心細い気持ちに
    なってしまうからで・・・でも、どうしてそこまで執着しなければならない
    のでしょうね?その人と知り合う前は、その人がいなくても何も問題は
    なかったはずなのに・・・。
    ある日、何かのきっかけである人と出会い、相手の何かに惹かれ、
    愛し始めることから恋愛は始まるものです。最初は、相手を思うだけで
    幸せだったはずが、そのうち、相手を思うだけではなく、振り向いて欲しい、
    認めて欲しいという欲望が湧いてきて、運が良ければ両思いになれ、
    その欲望は充たされます。ここで満足すれば相手に執着することには
    ならないと思うのですが、愛し合えば愛し合うほど、相手との境界線が
    曖昧になってきて、気付けは変な一体感のようなものを錯覚として感じて
    しまうことになるんですよね、特にセックスなんかしちゃうと。 そのうち
    どんどん相手への愛着が湧き、「彼(彼女)なしでは生きていけない!」
    なんて真顔で言い出すようになります。だいたい、おかしくなるのはこの辺
    からで、相手に執着すること=愛情が深いことと勘違いし始めてしまう
    のです。 愛し合っているうちは、鬱陶しいとは思いながらも、相手からの
    執着故の束縛が嬉しいという気持ちの方が上回っていたりするので
    大丈夫ですが、やはり、恋愛は二人でするもので、お互いの微妙な
    温度差が生じることによって、いつしか些細な喧嘩が始まってしまうことに・・・。
    最近になって、やっと私も、この「執着心」を自分なりに冷静に考えられる
    ようになりました。 若い頃は、執着=愛情の一つだと勘違いして
    いましたが、全くの別物なんですよね。むしろ、冷めてしまった相手には
    大変迷惑なことで、自分の存在の中に別人格の相手を取り入れてしまう
    ような、とっても図々しいことなんですよね。
    愛し合うことって、一体になることでも境界線を曖昧にすることでも依存
    し合うことでもなくて、相手とは一体ではなくて、境界線もしっかりと存在
    するんだということに気付くことだと思います。相手には相手の自由があり、
    自分にも自分の自由があって、その自由の中で相手と関りあうものだと
    理解すれば、相手の気持ちが離れた時、勿論悲しいし、去って行って
    欲しくなんかないけど、でも執着から憎悪に変る感情を防ぐことができる
    のではないでしょうか。 ・・・と、冷静な時はこんな風に客観的に考え
    られるのものですが、いざ、その場になってみると・・・・自信はありません
    よね。(笑) 昨夜彼の寝顔を見ていて、・・・この人から突然別れを告げ
    られたら、私はどうするだろう?などと、真剣に考えてしまったりして・・・
    そんなことを考えるってことは、もう既に彼に深く執着しちゃってる証拠
    なんですけどね。