☆ 捨て身の恋 ☆
「恋の部屋、いつも楽しみにしています。ところで先日書かれてありましたが
捨て身の恋って例えばどんな感じの恋なのでしょう?とても激しく切ない恋という
イメージがありますが・・・マリアさん、ご経験があるのですか?」
というメールを昨夜頂きました。(いつも読んで下さってありがとうございます)
・・・人を本気で愛する時って、ある意味どんな恋愛でも「捨て身」にならなければ
その愛はなかなか相手に伝わらないものなのではと思っています。 大袈裟だと
いわれるかもしれませんが、恋愛って、自分のエゴとの戦いになると思いますから。
私のようにわがままでエゴの強い傲慢な人間ほど悉く辛く苦しくなってしまうものですが、
だからこそそういった経験は必要であり、傷つき苦しむことによって、結果それが
人生の有難い教訓となるのではと思っています。 愛するということは、自分以上に
大切な存在がこの世にあることを認めることですよね。 「思いやりが大切」
「自分より他人のことを」などと、頭ではわかっていても、自分可愛さ故なかなか
行動には起こせないものではと思います。 エゴや我欲が捨てきれず傷ついたり後悔
したり悩んだり苦しんだりしますが、相手を深く愛せば愛すほどそういったエゴやプライド
を潔く捨てて、相手の為なら自分はどんなに傷ついてもかまわない、命をかけられる
くらいの思いになれたなら、それは有難く素晴らしい捨て身の恋ですし、忘れられない
豊かな経験となって、たとえその結果失恋を迎えてしまったとしても、人生の素晴らしい
糧となるのではと思います。
・・・今日、チョコッとBlogの日記にも書きましたが、例えば分別くさくなってしまっては
(恋愛に夢中になるのはみっともないだとか、知的ではないだとか)捨て身どころか
つまらない恋愛しかできなくなってしまうようにも思うんですよね。 「分別」って勿論
大切だと思いますが、こと恋愛に関しましては分別を忘れるくらいでなければ捨て身に
なるのはなかなか難しいのではと思います・・・・☆
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☆ 「演出」と「嘘」の違い ☆
・・・本日のブログに書きました、娘の憧れの師匠であり私の愛すべきガール
フレンド(笑)でもありますYUHANさんは、何が一番素敵かってやっぱり演出の
センスだと思います。 その辺が彼女に強く惹かれるところであり、魅力を感じる
ところなのです。
自分の持ち味を良く知り、上手に自身をプロデュースしている彼女は、
「自分らしさ上手」な女性だといつも感心し、刺激を貰ってます。^^
ソニア・リキエルも「演出してこそ人生は素晴らしくなる」と仰っていますが、
女性らしさ、自分らしさを醸し出すには上手にそれらを表現する演出力、研ぎ
澄まされた感性が必要になると思います。
演出するということは、決して嘘をつくことではなく、自分らしさの延長というか、
内に秘めた自分の魅力を引き出す為の賢い手段だと思います。 「嘘」は外側
から自分の持ち味とは全く違った色の壁を無理矢理塗りたくるように取り繕ったり
背伸びしたりすることだと思いますから、残念ながらそれには限界があって
厚く塗り固めれば塗り固めるほどボロボロに剥がれ落ち、惨めなものになると思い
ます。 でも「演出」は違います。核の部分にしっかりとした自分というものがあり
ますし、演出は持ち味の応用になると思いますから。
例えば恋人同士、夫婦の間にマンネリな空気を流さない為にも、常に知恵と
工夫、努力で演出し、パートナーに新鮮な驚きを味わってもらうことって、とても
素敵なことだと思います。
・・・それが女の私の役目であり、喜びでもあると思っています☆な〜んてね。(笑)
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☆ 無関心 ☆
荷物がどんどん片付き、少しずつお部屋のスペースが広くなりつつあります。(嬉)
バスルームやキッチン回りなどの使い方やスイッチなど、慣れるまではちょっと
大変でしょうけど(スイッチ多すぎ。^^;その分便利なのでしょうけどね・・・キッチン
にディスポーザーがついているのはかなり便利@アメリカにいた頃を思い出すわ)、
今のところ居ても問題のない霊ばかりがついてきてくれたようで、安眠妨害も
されず夜はグッスリ眠れてます。^^
・・・さて・・・
昔の修羅場が信じられないほど今やすっかり穏やかになった元夫との関係ですが、
一応子供達の実の父親ということで、何かあった時の為に連絡先だけは教え合って
います。 昨日引越の連絡を入れましたが、その際、元夫は
「・・・もう5年生と3年生か。 大きくなっただろうなぁ・・・。 K(息子)はきっと
まだオレのこと恨んでるだろうな・・・」
などと、寂しそうに話していました。
・・・で、先程息子にそれとなく元夫について話しを訊いてみました。 すると、
「・・・う〜ん、悪いけどオイラの人生にはもう何の興味も関わりもない人かな。
前はあれだけ大嫌いで許せねーって思ってたはずだけどさ、もう、今は嫌いとか
許せねーとかよりなんかオイラの中ではどうでもいい系に部類したみたい。
だってさ、人生、大切な人さえわかっていればいいし。 へへへ。」
なんて笑っていました。
・・・好きでも嫌いでもない無関心・・・。 元夫にとってある意味一番辛い事実
かもしれません。
無関心とは愛の対極にある言葉。 エゴがぶつかり合うと争いが起き、更に
進むと無関心に行き着いてしまうものなのねと、しみじみ感じています。
私自身、あれだけの修羅場をアッサリ忘れられているということは、もう、魂が
触れ合う必要もなくなったということなのかもしれません。
・・・マリー・ローランサンの詩を思い出しました。
忘れられた女は、退屈な女よりも、追われた女よりも、捨てられた女よりも、
死んだ女よりももっとずっと哀れだという詩。 無関心に振舞われるって、残酷な
ことですね・・・。
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