☆ 自分を愛してしっかり受け止めてくれるのは自分だけ ☆
「最初の頃はあんなにラブラブだったはずなのに、最近は一緒にいてもかえって孤独な
気持ちに襲われ、哀しくなる」「本当に恋人同士なの?と疑いたくなることがある。もっと
愛情を表現してほしいのに・・・」「嫉妬心や独占欲の強さで彼を押しつぶしてしまいそう
な自分が恐いです」
恋愛のご相談をお受けしていますと、彼との心の温度差に深刻に悩む女性が多く
いらっしゃいます。
目に見える形で愛を表現してくれなければ不安で仕方がないという気持ちは、私を含め、
みんなに共通の気持ちでしょうから心配する必要はないと思いますが、この不安の
全てを相手に消して欲しいと求めてしまっても、それはとても難しいことと思います。
求めれば求めるほどかえって自分を傷つけてしまうことにもなりかねませんし、
若かりし頃は私も何度もそうやって相手に自分の気持ちを押し付けては失敗しました。
人間はきっと、自分の愛情が移りやすく変わりやすいことを知っているからこそ、
愛に固執し誓いたがるものなのかもしれません。 でも、多くの男女は愛する途中で
情熱を失い、時にはぶつかりあってお互いに失望したり幻滅しながらも、冷静に
考えてみればそれはお互い様のことですし、何とか妥協点を見出す努力をして歩み
寄り、信頼関係を築きながら日々生活しているのではと思います。
私の好きな言葉に
「生ぜしも独りなり、死するも独りなり、されば人と共に住するも独りなり、添いはつべき
人なきゆえなり」
というものがあります。
人間って孤独だからこそ、人と寄り添い心を温め合うのではと思いますが、いくら
ピッタリと抱き合ったところで決して一緒に死ねるものではなく、死ぬ時も孤独と思えば、
相手をあれこれ詮索して、妄想に悩むことが可笑しく思え、妙に清々しい気持ちに
なって来るのです。 同床異夢、他は己ならず・・・自分はあくまでも自分であって、
相手は相手でしかないのですから、同じことを考えるはずもないし、相手の感覚や
思想にいちいち目くじら立てることなく、仕方ないことと認められなければ、一生
「本当に相手からしっかり愛されているかどうか疑惑」に苦しむことになりますものね。
自分の不安を取り除き、自分をいつの時でもしっかり理解し、愛して受け止めてくれる
のはきっと、自分自身しかいないのだと思います。
自分が抱えている悩みの殆どは、自分可愛さの『自己愛』なんだということに
気づいた時、依存から独立した時にこそ、本物の愛がやってくるものかもしれません。
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☆ どうしようもない思い ☆
先程まで不倫に苦しむ友達の相談を受けていました。
「人の心って、本当に困ったものね・・・。」
彼女は半ば呆れて自分自身を見つめるように溜息をつきました。
人間って、誰かと暮らしているから、結婚しているから他に恋心を抱かない
などといった保障などどこにもないですし、安定した幸せは、時に退屈を生んで
しまうもので、退屈は新しい生活を求め、不倫という出会いに足を踏み出して
しまうケースも少なくないものかもしれません。
相手がはっきりと、共に暮らすに不適切なひどい夫ならまだしも、これといった
落ち度もなく、むしろ良き夫という場合、女の気持ちはもってゆき場がなくなって
しまうでしょうし、夫だって立つ瀬がないでしょうし。
友達として、「不倫なんてやめるべき」などと、優等生じみたことを言うのは
簡単だけど、やめることができてたなら私なんかに相談せず、とっくに身を
引いてるはずですし。 また、彼女も私からそんな、人情機微の通じない野暮な
言葉が出てくるとは思っていないということを想定に、誰にも言えない心の内を
赤裸々に打ち明けてくれました。
「・・・私としたことが不倫に足を踏み込むだなんて・・・ 情けないでしょう?
みっともないわよね。 不倫だけは絶対にしないって思っていたのに・・・
こんなにも自分で自分を信じられないことは、今までなかったわ。」
彼女の話に耳を傾けながら、ふと、私は自分自身を振り返り、果たして私は私の
ものなのか? などと妙にしみじみ考えてしまいました。
カラダにしても心にしても、自分のものであって、実は自分のものではない
ということにあらためて気づき、ゾッとしました。 (あるお経にそのようなことが
書かれてあったことをぼんやりと思い出しました)
例えば病気にならないよう気をつけても風邪を引いてしまいますし、突然偏頭痛に
襲われたり、首や肩が凝ってしまうのも、自分でどうすることもできません。
長生きしたいと思っても、ある日突然死ぬかもしれませんし、逆に、もう生きて
いたくない、長生きなんかごめんと思っても、長々生きてしまうかもしれません。
心だって・・・ 自分の思い通りに動いてくれないことが多いものです。
人を憎まないこともできなければ、ついてはならないウソをついてしまったり、
絶対に恋してはならない人に恋をしてしまう自分を、どうにも止めようもないこと
だってあるのです。
ある時、何かの作用に恵まれ、素晴らしいご縁に巡り合えても、それが永遠に
輝いて手元にあるとは限りませんし、突然また何かの作用で取り上げられ、失い、
途方に暮れ、悲しい思いをすることだってあります(地位や名誉や財産だって
気まぐれなものだと思います)。 こんな苦しい思いをするくらいなら、巡り合わな
ければ良かっただなんて、恨んだり口惜しがりながら・・・。
最近になってやっと、「この世は苦」ということの意味を、少しずつ理解できる
ようになりました。
「・・・今の不倫の関係は確かに苦しいし、できることならやめたいと思う。 でも、
夫との死んだような関係に身を置くのはもっと苦しいの。
何を考えてるんだって思うでしょう?だったら夫と別れたらいいって思うでしょう?
そんな勇気もない、どうしようもないダメな私なのよ。」
・・・世間では圧倒的に彼女が悪いと非難される関係。それは彼女自身、痛いほど
理解していることと思います。 しかし、彼女にとって、最初は心をコントロールし、
絶対に踏み込んではいけないと思っていたはずの不倫の関係が、気づけば人生の
中で、自分ではどうすることもできない、止むに止まれぬ生きる証となってしまった
という事実に、同じ女として、哀しみを共感せずにはいられませんでした。
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☆ 自分が選択した道だから ☆
昨夜から喉が痛くて困ってます。^^; 先週、息子が風邪を引いて、週末娘も
風邪でダウン。 そして今度は私まで喉の痛みが・・・。 お薬を飲んで様子を
みています。 折角昨夜夫から美味しいウイスキーをもらったというのに、
今夜は飲めないと思うととても残念です。 カナチイ・・・(涙)
・・・ところで・・・
一昨日は「どうしようもない思い」について書きましたところ、沢山のメールを
頂き嬉しく思っています。(ありがとうございます)
「不倫」については決して肯定はしませんし、できることならしない方がいいとも
って思います。 でも、一旦燃え上がってしまった気持ちはどうにも抑えようが
ないものだなんて、自分自身の経験からも身にしみてよくわかっていることですから、
それについて冷静に「やめなさいよ」だなんて、とても言えないものなのです。
そして、たとえ不倫でも、それが止むに止まれぬ真剣な愛の形ならば尚更、
責める権利などありません。
私は個人的に、人を恋する気持ちって、道徳や不道徳を超えたところにあるの
ではないかとも思っています。たとえ結婚できなくても、強く愛し合う二人の魂が
結ばれることが、単純に恋の成就だとも思いますし・・・。
たとえ不倫でも、その恋を必要としているどうしようもない自分の気持ちを認めたなら、
「辛いけど、苦しいけど、でも、誰に頼まれたわけでもない、自分で選択した恋
なのだから」という覚悟と共に、肯定的に考えられたならと思います。
恋と人生って、特に女性にとっては密接に結びつくものだと思いますし(特に
私はそうかもしれません)、より良く人生を生きる為には、自分らしい生き方の中で、
自分らしい恋に出会い、悔いのないようその関係をできる限り深めて行くことが
大切だと思います。
例えば「廊下は走っちゃいけません」という規則があったとしても、友達が怪我を
して大変な時には、規則など忘れて職員室まで走りますし、
たとえそこが禁煙の場所であっても、死に行く人が最後に一服させてほしいと
願ったなら、喜んでタバコを差し出すと思います。
・・・論点が不倫とはかなりずれてしまったかもしれませんが、人を責めることは
簡単・・・だけど、自分は人を責めるに値する立派な人間だろうかと振り返れば、
謙虚になれるものでしょうし、自分の愚かさに気づけば偉そうなことも言えなくなる
のではとも思います。 また、そうやって誰かを許せることで、心の容量も少しずつ
広くなるのではと思います。(自分にも他人にも甘いマリア的言い訳ですが(笑))
・・・何か、風邪気味というのも手伝って、書いてるうちにどんどんしんみりとなって
きましたが(汗)、その恋がたとえ不倫の恋だったとしても、その恋で経験した色々な
感情や、誰かを真剣に愛するという自主性や強さって、決して無駄にはならない
でしょうし、むしろ人生の大きな糧になるに違いないと思っています。
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☆ 自己愛からの脱出 ☆
ご心配をおかけ致しました喉の痛みですが、お薬を飲んで早めに就寝しましたら、
少しずつ良くなってきたようです。^^ 娘の方がまだ咳と鼻水に悩まされていますが、
熱も下がり食欲もありますから何とか大丈夫そうです。 季節の変わり目って
どうしても体調を崩してしまいがちですよね。皆様もどうぞお気をつけ下さいませね☆
・・・先日、友達からどうしようもない思いを打ち明けられ、自分の身に置きかえたり
しながら恋愛について色々ボンヤリ考えていましたが、「自分が選択した道」なの
だからという自覚、覚悟を何とか持てるようになったのも、本当にここ最近のことかも
しれないなと思ったりしています。
そういえば若かりし頃は、恋愛する度相手を愛しすぎて辛くなることが悩みのひとつで、
また、軽重の差はあっても若い頃って、もしかすると誰もが一度は私と同じ悩みを経験
されるのではとも思います。
昔の私は、恋人に「私だけを見ていてくれなきゃ死ぬ」くらいなアホなことを真顔で
言ってました。(笑) そんな私を事もあろうに、縁のあった男性たちは私の独占欲や
嫉妬心、わがままにも耐え、精一杯私だけを見て愛そうと努力してくれました。 勿論、
私も愛する男性だけに100%目を向け、相手のわがままを聞き、世話を焼いたり
尽くしたりもしましたし、それが愛情の証明だなんて信じていましたが、そんな息の
詰まる密着関係が長続きするはずもありませんよね。
ある日、ある男性からの一言に、私は愕然とします。
「君はきっと、今まで一度も男を愛したことなんてない。君が愛しているのは君自身だ。」
がーん!そんなはずないわ!愛するからこその嫉妬なのにひどい!などと、怒りすら
湧いてきました。 ・・・しかし・・・ 彼からの連絡も次第に途絶え、振られてしまったことを
確認すると、冷静に今までの色々な出来事を思い出し、あらためて自分の問題点について
少しずつ考え始めました。
「君が愛しているのは君自身」という言葉は、私の心にグサリと突き刺さりました。
振られたということよりも、その言葉の方がショックで、そんなばかなと思いつつ、
気づけば刺さった言葉をじわじわと抜く作業をしていました。
・・・愛してるのは私自身・・・自己愛。
そうなんですよね、私はきっと、たえず恋人を通して自己確認をしていたのです。
自分に自信を与える為に、恋人に色々なことをああせこうせと要求していただけ
なのです。 でも、恋人だって生身の人間。 ムシの居所の悪い時や疲れている時、
気が乗らない時だってあるはずですし、しかし相手が日常の様々なことにふと気をとられ
心をそらせると、私は勝手に
「ひょっとしてもうこの人は私に飽きたのでは?」「他に好きな女性ができたのかも?」
「う、浮気?!」「やだやだ!こっちを見てよ!そっちじゃなくて私のことだけを考えてよ!」
などと妄想し、うろたえ、相手の心を自分に向けさせようと必死になって・・・で、欲望を
感じていない様子が少しでも感じられると、自分に魅力がなくなったのかもと激しく凹み、
悩み、媚態の限りをつくし、「こっちを見て!私だけを見て!」と、執拗に絡み付いたりして・・・。
本当に相手を愛しているのであれば、そっとしてほっておくという優しさが優先される
はずなのに、恋人を自己確認の手段としてしまってる場合は、相手の気持ちを考える
余裕もなく、首根っこを押さえつけてでもこっちに顔を向けさせようと、自己愛の何ものでも
ない態度を、さも深い愛情表現のように押し付けてしまって・・・
「君が愛しているのは君自身」という言葉の意味を、色々と冷静に考えているうちに、
一見愛しすぎているように見えながら、実は自己愛にどっぷりと浸かり込んでいました
という事実に、ようやく気づかされたのです。
でも、たとえ相手の心や人生をひっかきまわしてでも、とにかく愛されている実感を通して
自己確認し、安心せずにはいられないなどという苦い経験って、信頼関係という
穏やかな愛に到達するまでには、多くの人が辿るプロセスのひとつかもしれませんし、
全ての事柄に学習が必要なように、愛の分野にも体験学習って必要なのですよね。
時に傷つき、怒り、苦しみ、嘆き、何故こんなに辛い思いをしなければならないのだろうか、
何故、報われなかったのか、あんなにも愛していたのに何故振られてしまったのか・・・
などと客観的に分析していくうちに、色々なことを学び、いつしか同じ失敗を繰り返さなく
なるものかもしれません・・・。
・・・さて・・・今現在。 こんなアタシもようやく信頼関係を築くことの素晴らしさ、心地よさに
気づかされたようで、その昔、激しくあったはずの、あの嫉妬心や独占欲という激しく苦しい
欲求が、お陰様でウソのように消えちゃいましたし、未だ嫉妬心を煽ろうと試みてくる男性
には「可愛いヤツよなぁ」なんて、微笑ましくも思えるようになりました。^^
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