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          ☆   当たる当たらないより説得力があるかどうか   ☆


    先日、江原さんが出演している「えぐら開運堂」に、師匠が作った易占タロットを持った
    悩める占い師が相談に訪れていたらしく、周りの友達から「マリと同じタロット持ってる
    占い師が出るってよ!!」と、知らされてましたが、もともと「えぐら開運堂」は見る習慣
    がなかったので惜しくも見逃してしまいました。^^; するとお友達の中で録画していた
    方がいて、メールで「見ます?」と送ってくださったのです。(ありがとう♪)
    早速みてみますと・・・ その相談者、占いが当たりすぎて恐い、このままでいいの
    だろうか??などと困惑気味に話している様子。 (算命学+易タロット=もしか
    するとあの先生のところで勉強したのかな???などと、師匠系列の先生のお顔を
    色々思い出すアタシ) そこで江原氏が彼女に話していた中でとても共感したことが
    ありました。

    「当たる当たらないよりも、占い師に大切なものって、人生哲学なんじゃないの?」

    と。 そして

    「あなたに必要なものは自信、そして経験を積むこと。」

    と仰っていました。

    江原さんについてはあまりよく知りませんでしたが、その部分はうんうんと頷いて
    しまいました。  要するに、占う側にどれだけの説得力があるか、当たるか当たら
    ないより、得た結果からどう幸せに導く為のヒントを与えられるか、勇気を与え
    られるかが大切なんですよね。それには占いの勉強も大切ですが、人生勉強の方
    もとても大切で、まずは自分の人生をしっかりと整え、色々な経験を積まなければ
    説得力も何も出ませんよね。 ・・・人生、死ぬまで勉強です。^^ あらためて精進
    しなきゃと思いました。 

    

























































 




              ☆   生きる意味   ☆


     随分昔に「使命」と題して日記に書き、エッセイの部屋に置きましたところ、
     占い鑑定で「私の使命を教えてください」という内容のご依頼が多くなり、
     今でも時折「エッセイの部屋を読んだのですが」とご依頼頂いています。 
     最近は、「使命というより私の生きる意味を教えてください。」 「何故私は
     こうして生きてるのでしょう。昔は夢や希望や使命感みたいなものがあった
     はずなのに、今は全てどうでもよく退屈に感じてしまう自分が、とても
     わがままで甘えてると思います。そんな自分に嫌悪感を感じます。」
     「占いの枠を超えてしまうかもしれませんが、何故私は生きているのか、
     その意味がわかりません」「私はどうすれば幸せに生きられるのでしょう」 
     という依頼内容が少しずつ増えてきたように思います。
     受けられる範囲で占い鑑定はお受けしていますが、でも私だってまだ自分が
     何故今、この時代に生きてるのか、生きる意味なんてわかりませんし、
     そしてわからなくてもいいと思っています。 そこまで考える必要のないもの
     だと思っていますし、今までの人生を振り返りましても、自分なりにできることを、
     例えばその日にしなければならないことを、失敗したり悩んだり泣いたり
     笑ったり怒ったり喜んだり色々しつつ、できる範囲でコツコツとこなして今の
     自分の人生があるんですよね。 多分、これを読んで下さってる皆さんも同じ
     なのではと思います。 自分は甘えているのではないか、もっと厳しい環境に
     身をおかなければ生きる意味は見出せないのでは?と思われる方もいらっ
     しゃるかと思いますが、本当に甘えている人というのは自分が甘えている
     ということすら気づかないものだと思います。 また、今置かれている環境、
     境遇が、自分で納得のいくものではないことに嘆かれても、それがいつまでも
     変わらないというものでもないでしょうし、甘えを周りの人が許してくれるなら
     甘えても構わないと思いますし、やっぱり甘えてばかりじゃ駄目だわ、と
     思うなら頑張って努力して何かに挑戦すれば良いのではと思います。
     何だか他人事みたいに言いますね・・・といわれてしまいそうですが、
     人生って自分にしか変えられない、本人だけに決定権のある大切なものですし、
     何に幸せ不幸せを感じるかも本人次第、生きる意味だって他の誰でもない
     その人自身が色々な経験を積んで見つけていくものだと思っています。 
     使命を知ることはその糸口を見出すきっかけともなると思いますが、
     これから自分が何をしたいか、どうすればいいかくらいは、誰に指図される
     ことなく自分で考え、決めたいものですよね。 
     ・・・私もまだまだ生きる意味などわかりませんし、手探り状態ですが、
     自分の使命を信じて今日もできることをひとつひとつこなしつつ、何とか
     生きています。^^

































































 




             ☆    心無圭礙 無有恐怖   ☆


    お気づきの方もいらっしゃるかとは思いますが、昨日こちらに書いていました
    日記は削除させて頂きました。 6月13日の日記でも、「いちいち凹んで
    いたら身が持ちませんし、世の中色々な人がいるのですから、開き直って
    ると言われようと何と言われようと、今後もありのままの自分でやって
    行きたいと思っています」と書いたばかりなのに、全く堪え性がないん
    ですね、アタシの魂は。^^; ついまた反応してしまったようです。 
 
    「心無圭礙」とは心経に出てくる言葉で「心にこだわりを持たないこと」
    を意味します。 人の心には感情がつきもので、感情に左右されてしまい
    ますから、どうしても人の話を素直に聞けなくなってしまうのですよね。 
    川を渉る船が、何か杭のようなものに引っかかってしまって離れなく
    なってしまうように、心の中に、何かどうしても相手への先入観から
    ひっかかってしまうことが起きるものだと思います。こういう感情があると、
    なかなか相手の気持ちをはっきり見ることができなくなります。 
    物事が上手く行かない、はかどらない、スランプな時は、このような
    「こだわり」の感情が積っている時なのかもしれません。 素直になれば
    ものの道理は良く見えてくるものですし、相手が伝えたいことの本質が
    見えてくると思います。
    仏さまの智慧には感情がないので自然そのものですが、人間の知恵には
    感情がありますから困ったものです。 「こだわり」や「執着」は、欲深い
    心から生まれるものですから。 「私が私が」と、我先に自分を売り出したい
    感情を抑え、素直な気持ちで謙虚に耳を傾ければ、相手の言葉にいちいち
    引っかかったりすることもなくなるのでしょうが・・・ 難しいですね。^^;;;
    何かを言われてもいちいち引っかかったり反応したりせず、ぐっと堪えて
    温かい心を返したいものです。 この慈愛の気持ちって、言葉にするのは
    簡単でも実際行動に移すのは難しいですが、その慈愛の気持ちで相手も
    自分も救われるはずで・・・仏教ではこれを「供養」というのですよね。
    人から言われたことにいちいち腹を立てる人間が、霊の供養なんて難しい
    ですもの。 反省。
    
    一休さんがこんなことを仰っていたそうです。

    「腹を立てず、心は丸く、気は長く、おのれ小さく、人は大きく。」

    いつの時でも、心に思いやりとゆとりを持っていたいですね☆




          ☆   心無圭礙 無有恐怖   ☆


    日記を読んで下さった方から、「8月29日の文章は、私のためにあるよう
    でした・・・。コピーして、さっそく保存、しましたが、「心無・・・」読み方が、分かり
    ませーん。読み方は大事じゃないことは分かっているんですが、必要なとき、
    脳みそから引っ張り出す記号として、またはつぶやくために?知っておきたいです。
    お手すきのときあれば、教えてくださいませ」というメールを頂きました。(ありがとう
    ございます☆) こういうメールを受け取ると、とても嬉しく励みになるものですね。^^

    心経に出てくる「心無圭礙」ですが、「しん む けい げ」 と読みます。 
    圭は「障り」、礙は「妨げる」という意味で、どちらも「こだわる、ひっかかる」という
    ことになります。 その前に 心 無 がつきますから、「心にこだわりを持たないこと」
    という意味になるのですね。^^
    さて、この言葉には続きがありまして、「心無圭礙 無有恐怖」(しん む けい げ
    む う く ふ」 と流れます。 「心に圭礙@こだわりが無ければ、恐怖が無い」
    という意味になるのです。 人間って色々な煩悩に惑わされ、「私が私が」な欲望
    を満足させることに執着し、どうしてもこだわってしまうものです。 なので「もし願いが
    叶わなかったらどうしよう。欲望を満たせなければ苦しい。 あの人はあんなにも
    幸せそう(お金持ち、美人、地位が高い、人気者)なのに、何故私はそうならないの? 
    悔しい。辛い・・・などと不安が襲ってきます。 たとえ地位が高くなっても「もっと上に
    上がりたい、トップに立ちたい」と思うようになり、いくらお金持ちになっても「もっと
    収入を得たい」と思うようになったり・・・こういった気持ち、考えれば考えるほど増して
    いくものなのかもしれませんね。
    お釈迦さまは弟子たちに対し、
    「君達がもろもろの悩みや恐れから逃げようと思ったら、多くを望んではいけません。
    足ることを知る者は、地面で寝ていても安楽だろうし、不足をいう者は天国に住んで
    いても心満たすことはあるまい。」
    と仰ってます。
    「足ることを知る」 ことが大切なのだと、頭ではわかっても、凡人な私の心はなかなか
    わかってくれず、心経を唱える度反省です。

    この夏は、じっくり心経を勉強できて、本当に良かったと思っています。
    ちょっとお経を唱えられるから、知ってるからと、真剣に勉強もしていないにもかかわらず、
    偉そうに書いたりしていたことを、心経を勉強すればするほどとても恥ずかしく思います。
    これも全て、自分の心に住む「見栄@立派に見られたい」という傲慢な欲が成したことと
    思っています。 
    今、こうして反省したところで、もしかすると5年後、10年後にまた油断して同じことを
    繰り返しているかもしれません。でも、その都度自分の傲慢さに気づくか気づかないかで
    その後の人生が変わっていくものだと思いますし、自業自得だと思います。

    心にこだわりを無くすって、なかなか難しいことだと思いますが、それでもこだわったり
    執着する前に感謝や慈愛の気持ちを忘れず、温かい心でいたいものですね☆




























































 





                 ☆     何気ない一言の重さ    ☆


     昔、某占いブースでお仕事をしていた際、スーツ姿の男性が真っ青な顔をして、
     私の前に座りました。 年の頃は50歳くらいだったでしょうか。 彼は切羽詰まっ
     たように
     「・・・私に・・・死相は見えますか?!」 
     と、言うのです。

     彼は2〜3日前、酔っ払った勢いである占い師さんの所へ行ったそうですが、
     その際、自分は占いなんか一切信じないし、何を言われても驚かない。どうせ
     なら自分がいつ死ぬかを知りたいと訊いたそうです。すると、その占い師さんは、
     なんと、その男性は3年後に死ぬと答えたそうで、その後、酔いがさめたその
     男性は、占い結果が気になって気になって仕方がなくなったといいます。

     「・・・自分の寿命はどのくらいかということを軽く訊いただけなんですけど・・・
     まさか3年と言われてしまうとは。そして、それを気にする自分も情けないの
     ですが・・・」

     すっかり落胆してしまい、オーラにも覇気がなく感じられます。
     その占い師さんは、何をどう観てその人の寿命があと3年ということを言ったのか、
     また、寿命を少しでも延ばすにはどうすればいいのかなどを何故アドバイスでき
     なかったのかと呆れてしまいましたが、ハッと我に返り、自分が日頃お仕事で
     何気なくお客さまにお伝えしている言葉、一言一言は、お客さまの心にどのように
     届いているのかしらと考えると、とても怖くなりました。
     言葉は言霊といいますが、何気ない一言でも、その時々の心の状態でとても気に
     なったり、いつまでも誰かから言われた些細な一言を引きずってしまったりなんて
     こと、ありますものね。 何気ない一言で激しく落胆したり、逆に大きな勇気を
     貰えたり・・・。 実は昨夜、YUHANさまとチャットで話していて、この、何気ない
     一言の重さについて話題にあがり、その際、この男性を思い出したのです。 
     あらためて、言葉にする前に気をつけなければと、肝に銘じたのでした。
 
     「大丈夫ですよ。 手相を拝見しましても、あなたはまだ長生き出来ますし、
     やるべきことは沢山残っているはずです。 ただ、よく拝見しますと不摂生で
     内臓が弱っているようですし、ちゃんと健康チェックはしてくださいね。 ご家族の
     為にも特にタバコは控えめに。 血圧に障るようなことは控えて、健康管理さえ
     怠らなければ3年後に亡くなることなどないですから安心してくださいね。」

     その男性は、その後も時折私の前に顔を見せ、そのうち、占いブースを辞める
     ことになりましたが、お互いの連絡先を交換し、未だにご縁は続いています。
     というわけで、3年後に亡くなることなく、何度か入院はしましたが、今では
     可愛いお孫さんがいらっしゃる素敵なおじいちゃんなんですよ。^^
     これは、占い結果が当たった外れたというものではなく、ご本人が自分の人生
     としっかり向き合い、良い方向へ向かったということの証なのだと思っています。
     この世は思わぬことも起こりますが、人生をどちらの方向へ向けるかだけは
     自分で決められますから、不摂生@自暴自棄に生きればそれなりの、また、
     希望を持って、今、この時を大切に過ごすかで、随分未来は変わると思います。

     ・・・今は私にも家族ができて、家族との生活を優先させていますから、外では
     なかなかレギュラーで出ることができませんので、こうしてネットの力を借りて、
     メール鑑定がメインになってしまっています。 対面鑑定とは違い、メールの
     言葉はいつまでも残ります。忙しくなりますと、つい、お受けしましたお一人お一人
     へ返信しました占い結果を、忘れてしまうことも正直あります。 だからこそ、
     キーを打つとすぐに出てくるこうした言葉ひとつひとつは、大切にしなければなと
     思っています。 占い結果をコピーして、お財布や手帳にお守りのように持って
     下さり、辛い時、悲しい時、何度も読み返して下さっているという方からメールを
     頂く度、有難いなと思うと共に、初心を忘れず、一言の言葉の重みというものを
     常に意識したいと思っています☆