| ★ 初詣 ★ 初詣は江戸時代に始まった風習で、昔は「恵方参り」といわれていて、陰陽道で決め られた縁起の良い方位にある神社やお寺に新年をお参りしたのがその起源です。 また、年ごもりともいわれ、一家の主が大晦日から元旦にかけ、氏神様を祭る神社に こもったともされています。 Q:初詣は「はしご」して良いのでしょうか? A:初詣は何ヶ所でも気のすむまではしごして大丈夫です。(笑) Q:初詣って、いつまでに行くものなのでしょうか? A:初詣は松の内(7日まで)に行くものです。それ以降になれば初詣とはいわなく なってしまいます。 Q:初詣は神社じゃなくて、お寺でも良いの? A:初詣は神社に限らずお寺にお参りするのも初詣というんです。例えば川崎大師 や浅草寺なんかも有名なお寺の初詣場所ですね。モウモウとたかれたお線香の 煙を背中や頭に浴びて、手を合わせるのがポイント。あれは神道と仏教を調和 させようとした動きが影響されてるらしいです。 Q:お守りって、何個買っても大丈夫? A:気のすむまで何個でもどーぞ。全然OKです。 ただし、気持ちが大切なので、 幾つ買っても思い入れがなければ効果はありませんのでご注意を。 松の内(7日まで)の間、神社とお寺の両方に行っても良いですし、あちこちはしご しても大丈夫です。沢山の破魔矢やお守りを買っても全然大丈夫。ただし、一番最初 にお参りした神社やお寺がその年の初詣の場所になってしまいますので、一番 お気に入りの所へまず最初に出向いた方が良いと思います。 1月7日までとは、 気の短い江戸っ子に合わせて決められたものらしいのです。 関西方面では10日や 15日までをお正月として初詣にも出かけるそうです。要は初詣する方の心のもちよう かもしれません。 Q:去年の破魔矢や七五三のお札などはどうすれば良いのでしょうか? A:破魔矢やお守り、七五三のお札など、縁起物は毎年新しいものに取り替え、古い ものは煙と共に天に帰しましょう。初詣の場所には古いお札の納め所があります から、一年間、守ってくださった感謝の気持ちと共にお賽銭をあげ、納めましょう。 最近は減ったけど、神社によってはその場で燃やしてくれるところもあります。 ポイントは「感謝の気持ち」です。 Q:神社ってハクシュするもの? A:神社にお参りする時、両手の掌を打ちながらしますが、これは普通「柏手」と いいます。よく、「ハクシュ」と言う人がいますが、「柏手」と「拍手」と間違えて覚え てしまっているのかもしれません。 しかし、実は「柏手」は「拍手」が本当だったと いうのですからややこしいものです。拍手は演技や競技が終わった後や、感動、 感激の表示としてされますが、日本には特殊に神拝作法としての拍手があるの です。神拝作法としての拍手は一般の神社祭式では二度打ち鳴らすのが普通で、 伊勢神宮では八開手といって八回も拍手します。なお、神式ではお葬式にも拍手 しますが、しのび手といって音をたててはいけないのです。 柏手は、古くは朝儀、賜物、捧物などの場合や飲食に当っても行われていました。 そして、神拝その他の作法としての拍手のことを、鎌倉期の頃から「柏手」というよう になったといいます。 それは、カシワの葉が食器だったからとも、拍手した時の手 の形がカシワの葉に似ているからだとも、更には単に読み間違えたのが一般化した のだともいわれています。 つまり、かつては「拍手」でいっこうに間違えではなかっ たということですね。 |
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| ★ 七福神詣で(七福神めぐり) ★ お正月に福徳の七神を参詣する風習は、江戸時代にさかんになり、今日も各地で「〇〇の 七福神詣で」と称して人気を呼んでいます。 東京だけでも深川七福神ですとか、葛飾七福神 など様々です。本来は、三が日か七日までに巡拝しますが、今日では一月十五日の小正月 までに行うところが多いです。 江戸時代初代将軍の徳川家康が民生安定の為、七福神信仰を広め、神様を祭った7ヶ所の お寺や神社を巡ったことから始まりました。 初詣も七福神詣でもお正月に神社やお寺に行って行うものですが、初詣が1ヶ所の神社やお寺 で完了するのに対し、七福神詣では字の通り、7ヶ所の神社やお寺を巡らなければなりません。 日本全国には七福神詣でのスポットとされている神社やお寺があり、それぞれで福絵馬に朱印 を押してもらうとその一年の大願成就が約束されるというものです。地域によっては記念品を貰 える所もあるようです。 七福神とは、恵比須、大黒天、毘沙門天、弁財天、福禄寿、寿老人(または吉祥天)、布袋の 七神のことをいいます。 恵比須(夷)は商業や漁業の福神、大黒天は古代インドの神でしたが、日本では農業や商業の 福神とされます。毘沙門天はもとは四天王の一人で、北方を守る多聞天のこと。弁財天は 弁天様と呼ばれ、芸能、蓄財、水の神様として信仰されます。福禄寿は福と禄(地位、財産) 寿を司る神ですが、寿老人と混同されることが多いです。吉祥天は毘沙門天の妃とされ、福徳 を与える神です。 また、布袋は中国古代の伝説的禅僧といわれ、やはり福徳を授けるとされて います。 ・・・このように、出自もまちまちなら、服装もまちまちです。 恵比須は日本の神の姿、福禄寿 と寿老人は中国服、弁財天と吉祥天は古代中国の貴族の女性の服装、毘沙門天は武将の 格好、大黒天、布袋は僧侶の姿となります。 チャンスがありましたら、是非、じっくりと其々の 神様の服装チェックをされてみてはいかがですか? 普段は其々寺社にまつられていて信仰を集めていますが、お正月にかぎって七神がワンセット の福神とされているところが面白いですね。 奇数の七はもともと縁起の良い数とされ、七草 などになぞらえられて七福神信仰が成立したものらしいです。 七福神が乗った宝船に添えられている回文を3回読んでから枕の下に入れて眠ると、良い夢が 見られるとされています。良い夢を見たら神棚に供えます。 |
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| ★ お正月 ★ 何かおめでたいことがあると、「盆と正月がいっぺんに来たようだ」とたとえるくらい、年中行事の 中でも日本人にとって最大のイベントがお正月とお盆ですね。 本来、お正月もお盆も先祖の霊魂、つまり祖霊が帰って来るお祭りであり、その中心となっていた のはいずれも十五日でした。 お盆はいまでもそうですが、お正月はいわゆる小正月が中心と なっていたのです。 旧暦とは太陰太陽暦ですから、十五は満月の日で、お正月もお盆も本来同じような意味を持った 行事でした。 その為かお盆には盆棚を飾るのに対し、お正月には歳徳棚を飾り、お盆に迎え火、 送り火があるのに対し、お正月にはどんど焼きがありますね。 ただし今日では、お正月は神様、お盆は仏様といったイメージが定着している為、全く対称的な 行事となっていますが、関西方面でお正月の行事として、今でもお墓参りが盛んなのは、きっと 古い考えの名残なのかもしれませんね。 ☆お節料理とお雑煮 お正月の食事はハレの食事の代表ですが、地方ごとに特色があり、家ごとの習慣もあって、 調べてみるときりがありません。 しかし、全国的に共通していることは、まず、お餅を食べる ことでしょう。しかもそれをお雑煮として食べる点も共通していますが、お餅の形やお雑煮の汁 や具はさまざまですね。 お正月にお餅を食べるのは、お餅は心臓を形どったもので、それを食べることによって生命の 再生を祈るのだとされています。 ですから、お餅の形は本来は丸餅、お鏡型だったのですね。 昔は今と違い、食材の乏しくなる冬場はどうしても食事が偏りがちになるので、厳しい冬を乗り 越える上で、食事のアンバランスを補足するために、しきたりとか縁起ものといった形で食べる ことを促し、強制していたのです。 今ではスーパーへ行けばいつでも新鮮な食材が手に入り ますし、若い方はいくらお正月でもお節よりもカレーが食べたいなどと思う方も少なくないですね。 うちの子どもたちもお節よりカレー派です。(笑) さて、日本人の知識としてお節の中の其々の縁起ものの意味を簡単に頭に入れておきましょうか。 ☆黒豆・・・・・・・・・黒は道教で邪除けの色として尊重されているほか、ごろ合せで「マメに暮らせ ますように」の意味も込められています。 ☆数の子・・・・・・・ニシンの子ですね。ニシンは春吉魚とも書くように、春の使者とされています。 また、つぶの数が多いのは子孫繁栄に繋がり縁起が良いとされました。 ☆ごまめ・・・・・・・片口鰯を干したものを炒って甘辛く煮詰めたものです。ごまめは「田作り」とも 言い、田んぼの肥料にしたところお米が五万俵もとれたという言い伝えがあって、 それから「五万米」と書くようになりました。 ☆たたきごぼう・・黒いごぼうは豊年の時に飛んでくるといわれる黒い瑞鳥のことをさし、豊年と 一年の息災を願ってお節に入れられるようになりました。 ☆きんとん・・・・・・漢字で書くと「金団」。金色の丸い小判をイメージすることから、財が畜まる ようにという願いをかけたものです。 ☆かまぼこ・・・・・形が日の出に似ていることから、新しい門出として祝いの膳にのるようになり ました。赤は魔除け、白は清浄を示します。 ☆昆布巻き・・・・・昆布は古くは広布(ひろめ)といわれ、ひろめは「ひろがる」、こぶは「喜ぶ」 に通じることからおめでたいとされ、また、こぶは子生とも書き、子どもの 誕生にも通じ、祝いの膳に欠かせないものになりました。 ☆海老・・・・・・・・腰を曲げて進む海老の姿から、長寿を願う食べ物としてお節に入れられるよう になりました。また、海老は脱皮して成長していくことから、生命の更新を 示し、おめでたいとされています。 ☆鯛・・・・・・・・・・鯛はそのものずばり「めでたい」に通じ、赤い色や身がかたくずれしないことも 祝いの膳にふさわしいとされました。「にらみだい」といって、お正月三日間は にらむだけで箸をつけないというしきたりもあるそうですよ。(笑) ☆お雑煮・・・・・・地方によって具も汁もさまざまですが、もとは大晦日に年神様にお供えした お餅や野菜を混ぜてたべるようになったのが由来だそうです。 ☆お屠蘇(おとそ) お正月に欠かせないもののひとつに、お屠蘇があります。色々な薬草を混ぜ合わせ浸したお酒 を飲んで、邪気を払い、長寿を願うのです。 ただ単にお正月に飲むお酒をお屠蘇ということも ありますが、私のような左党にとっては薬草など入っていない方が良いですよね。(笑) 薬酒を 飲む習慣は中国から入って来ましたが、ことごとにお神酒を頂くのは、日本古来の風習ですね。 ☆松竹梅 お正月に限らず、おめでたい時に用いられるのが松竹梅の組み合わせですね。 松と竹は冬でも 青々と茂り、梅の花は旧暦のお正月頃に咲き始めますので、お正月の飾りとされたそうです。 松は長寿を象徴し、竹は真っ直ぐ伸び、しかも中が空洞になっていますから、率直さや二心の ないことを表す植物とされます。さらに地中深く根を張るので子孫繁栄を示すともされました。 梅は厳しい冬の最中に百花に先駆けて花が開き、その高貴な薫りは人々に珍重されます。 梅は花の中の王者の品格を持つ花ですから。 このようなわけで、松竹梅はお正月に最も相応 しい植物として、さまざまにアレンジされ、デザインされ用いられているのです。 ☆門松 集合住宅が増えた今日では、大きな門松はあまり見かけなくなりましたが、お正月の風物詩 として門松も欠かせないものの一つですね。 門松は元来、年神様の憑代で、常緑樹であれば必ずしも松にかぎらないことから、地域に よっては榊や竹や椿を用いるところもありますし、また、立てる場所も門口ではなく、床の間に 飾ることもあります。 お正月とは、先程も述べましたように、お盆と同じく祖霊をまつる行事でしたが、年神様(年歳神) が訪れる時ともされ、年神様は祖霊であり、福をもたらす神と考えられていました。 神ですから憑代が必要になり、神霊があらわれる時の媒体となるのが門松です。 門松が今のような形になったのは江戸時代からといわれ、根元の年木は、もとは朝廷や貴人に 年はじめにあたって薪を献上したことの名残といわれています。年木は、平年は12本、閏年は 13本というしきたりもありました。 また、門松の飾り付けは12月30日の夜までとされるしきたりがあるのは、31日に飾るのは 一夜飾りといって嫌われたからです。 また、門松を取り払うのが正月六日の夕方ですので、 七日までを「松の内」といいます。 ☆しめ縄、しめ飾り しめ縄は、神聖な区域を示す結界のしるしとして用いられるものです。 家のぐるりにこれを張り、 邪気が入ってくるのを防ぐのが本来の姿でした。 今は、戸口の所だけしめ飾りを張ったり、輪飾りを下げたりします。また、いつの頃からか、 輪飾りに様々な縁起物をつけたものが流行し、次第に豪華になってきています。 にぎにぎしくお正月の風景を美しく供えるものになっていますが、本来の意味からは少しずつ 離れてきているようにも思います。 Q:お正月飾りって、何の為に飾るの? A:年神様を迎える為に飾るものです。昔の日本では、煤払いにもコメントしましたが、 お正月には新しい年の神様、年神様がおりてきて各家庭に幸せをもたらす、と、考え られていました。そこで、神様がちゃんと降りてこられるようにと願って飾ったのが お正月飾りです。 代表的なのが神様が降りてくる目標物としての門松や、魔除けの しめ縄があります。 Q:いつ飾っていつしまうの? A:12月28日前に飾り、1月15日にはしまいます。地方によっては松の内に門松を取り払い ます。あまり急いで飾るのは神様に失礼なので、できるだけ28日に飾りはじめます。 ただし、29日は9を「苦」と連想しますので、飾り付けやお餅つきは避けたほうがいいよう です。年が明けたら1月15日の小正月に神社に納めるか、来年も使うものがあればしまう といいでしょう。 Q:来年も同じ物を使っても大丈夫? A:瀬戸物などでできた飾りでしたら大丈夫です。縁起物ですが、使いまわせるものは、 来年も使って構いません。 地方によっては1月15日に門松やしめ縄などを持ちより 焼く、どんど焼きという行事があります。このときに出る煙に乗って、神様が帰るとされて います。 Q:1月1日にお掃除をしたり包丁を使ってはいけないの? A:いけません。ほうきではくと、せっかくの年神様を追い出してしまうとされています。 包丁も同じです。(本音は主婦が家事から解放されたいというところから来ているの でしょうけど・・・・) ☆お正月のしまい方☆ 1月7日までを松の内、15日を小正月といい、これを境にお正月の品々をしまったり、年神様に お帰り願ったりします。それぞれの習慣にはきちんと由来があり、その日に行わないと意味を 持たないものも多いので、覚えておきましょう。 ☆鏡開き☆ 鏡餅を割ってたべることが鏡開きです。江戸時代以前の武家の風習から始まったもので、 鏡餅を手か木槌で割り、お汁粉にして食べるのが一般的。割っているのですが、そこは神様 の宿るお餅ですので、あえて「開く」とおめでたい言い方をしているのですね。 鏡開きは昔から1月11日に行われています。武家の具足開きという風習だったので、 男子は鎧に供えたお餅をお雑煮にして食べ、「刃柄(はつか)」を祝い、女子は鏡台に供えた お餅を食べて「初顔(はつか)」を祝ったとされ、その語呂から1月20日が鏡開きの日に 当てられていました。しかし、三代将軍家光が20日に亡くなり、蔵開きの日を兼ね、1月11日 へと移行したのです。 ☆七草がゆ☆ 平安時代に中国から伝わり、江戸時代に身分を問わず一般にも定着した習慣です。毎年 1月7日の朝に七種類の野草や野菜を入れたおかゆを食べる、一種の儀式です。お正月に 疲れた胃を休め、一年の無病息災を願って食べられるようになりました。 さて、人日というものをご存知でしょうか? 人日とは、五節句(五節供)の一つで、1月7日 をさします。そう、七草がゆの日の呼名です。 五節句は、年中行事を行う日の中でも特に 重要とされた日で、「人日」(1月7日)、「上巳」(3月3日)、「端午」(5月5日)、「七夕」(7月 7日)、「重陽」(9月9日)の五つです。 七草とは・・・ せり、なずな、ごきょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ すずなはかぶ、すずしろは大根です。 「七草なずな、唐土の鳥が日本の土地に渡らぬ先に せりこらたたきのたらたたき」 このように、菜を切るときにはやしながら、まな板の上の菜を包丁でたたく習慣があります。 これは、鳥追い歌で、農作物にたいする鳥害を防ぐ為の年頭のおまじないを、七草の行事の 時に唱えたのです。 |
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| ★ 煤払い(年末の大掃除) ★ 『厄まで落とす煤払い、垢を落とす大掃除』と言いますが、年末に普段手入れできなかった 隅々までキレイにする事を、「大掃除」と呼んでいますよね。 江戸時代には12月13日にはほぼ全国一斉に行われていた年中行事の一つだったのです。 それが「煤払い」で、単に念入りに掃除をするだけではなく、もっと呪術的な意味が込められた、 神聖な行事だったようです。 ですからこの日は「煤取節供」(すすとりぜつぐ)「煤掃きの年取り」 とも呼ばれ、一年の厄を取り払って、年神(正月神)を迎える為の重要な折り目だったのです。 例えば、東日本では、竹の先にわらをくくりつけた煤払い用のほうきを「煤梵天」(すすぼんてん)と 呼び神聖視し、使用後も捨てずにまつったり、北九州でも使用したほうきをまげて神棚にあげたり しているそう。そして、それらのほうきは小正月に左義長(どんど焼き)で焼かれたり、海や川に 流されるらしいのです。 煤払いが済むと門松を立てて、注連飾りをし、年神を迎え入れるそう・・・。 昔は10日以上もお正月が来るのを待っていたようだけど、現在は大晦日に慌しく大掃除をする家 が増えました。 また、それほど神聖な行事の雰囲気もなくなって、厄払いというよりも、ただ、 一年の汚れを落とす為に行われているような、ただの「大掃除」となってしまいました。 ・・・それでも年神様って来て下さっているのかしらね? 今年は厄払いを意識して、ちょっとだけ神聖モードでやってみようかしら?ほうきじゃなくて、 現代風に掃除機を神棚にあげてみる・・・なんてわけにはいきませんか。(笑) ほうきだなんて、うちには玄関を掃くほうきくらいしか置いてないし。あとはダスキンのモップとか・・。 う〜ん・・・ちゃんとしたほうきを使わなきゃ駄目なようですよね、多分。 やっぱり神聖モードは無理ですか・・・・。(汗) |
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| ★ 七五三のお祝い ★ 七も五も三もいずれも奇数で、陰陽道でいう陽の数であり、合計すると十五になります。十五日は 陽を重ねためでたい日ということで、子どもの成長を祝い、願う日となりました。 地方によって慣習の異なるところもありますが、一般に男の子は三歳と五歳、女の子は三歳と七歳 に祝います。古くは、男女とも三歳で髪置きの祝い、男の子は五歳で袴着の祝い、女の子は七歳で 帯解きの祝いを行いました。 「髪置き」とは、頭髪を伸ばす儀式で、綿帽子という白い綿を頭の上に乗せ、白髪頭になるまで長生き するようにと祈ります。 「袴着」は、男の子がはじめて袴をはく儀式です。 「帯解き」は、女の子が 付け帯を解いて、大人の帯をしめる儀式で、魂を内にしっかりととどめ、身をもちくずさないようにと いう願いを込めます。 本来は、産土神(産まれた土地の守護神)や氏神に参詣するもので、有名神社に参拝に出かける のは近年になってからの都市を中心とした流行です。 また、十五日の中でも、11月15日が選ばれたのは、旧暦ではこの日が一番の吉日とされる二十八宿 の鬼宿にあたっていたからだといわれています。今の暦では毎年二十八宿の配当は変わってきますが 改暦以前は毎年、11月1日は斗宿で、15日は鬼宿になるように決まっていましたので、この説は 信憑性が高いと思います。 七五三・・・・・きっと、一番張り切るのは子どもたちの母親ではないでしょうか?(笑) |
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| ★ 中秋の名月 ★ これだけは旧暦でないと意味がない、というのが十五夜ですよね。 爽やかな秋の夕べ、東の空に美しい月が顔を出します。ひときわ大きく見えるのが、中秋の名月です。 中秋(仲秋)とは旧暦8月のこと、各月は十五夜の月のことで、必ずしも満月と一致するわけではなく、 十六夜が満月のことや、まれに十七夜が満月のこともあります。 芋名月ともいわれるように、中秋の名月には里芋を供えます。 同じ芋でも甘藷ではなく、必ず里芋です。 そして、なくてはならないのが、お月見だんご。 もちろん、ススキを飾ることも忘れずに。 ただ、その年 に閏月があったりすると、名月がかなり遅い時期になって、ススキが枯尾花になってしまうこともあります。 ☆月見だんご☆ 中秋の名月に欠かせないのが月見だんごですが、製法や材料に特別変わったところがあるわけでは ありません。 年中行事におだんごはつきもので、お彼岸やお盆などにもおだんごが供えられます。 ただ、こちらはおはぎやぼたもちに姿を変えているのに、何故か月見だんごはおだんごのまま継承され ていますね。 おだんごの形は、お米の文化より前に渡来した里芋の文化に影響されているといわれ、そういえば、 おだんごの形は里芋に似ていますよね。 中秋の名月の頃はちょうど里芋の収穫期でもあり、月見 だんごは切っても切り離せないものになったのでしょう。 |
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| ★ お盆 ★ 一般にお盆といわれている行事は、正しくは盂蘭盆(うらぼん)、あるいは盂蘭盆会(うらぼんえ)といい、 古代インドのサンスクリット語で、さかさ吊りを意味する「ウランバナ」を語源とします。 これは、亡き母が地獄でさかさ吊りの苦しみにあっていることを知った、釈迦の弟子の一人が、供養を してその苦しみから母を救ったという話に基づいているのです。日本には仏教と共に伝来し、諸寺で盛大な 法要が催されることになりました。 しかし、お正月からちょうど半年後の旧暦7月の満月頃、祖先の霊が訪ねてくるという信仰はもともとあった もので、祖先の霊を迎えるために、迎え火をたき、ナスやキュウリなどの野菜とワラで牛馬を作り、お迎え する為の盆棚を作って、さまざまなものをお供えしました。 元来、お正月もお盆も祖霊を迎える行事でしたが、お正月の方はその意味が失われ、現在では、お盆だけ が、その行事として残っているのです。 太陽暦への改暦後、多くの行事が旧暦から太陽暦に切り替えられましたが、お盆だけは旧暦で行う地方が 多かったのです。でも、それも昭和30年代までで、それ以降は月遅れで行う所が多くなりました。 これを 「旧盆」と間違って呼ぶ方もいますが、正しくは、「月遅れ盆」と呼びます。 太陽暦のお盆は供えものが まにあわないとか、農作業の調整がつきにくいことなどがあって、月遅れ盆の人気が高まったようです。 最近では事情も変わってきていますが、月遅れ盆は、ちょうど学校の夏休みや企業の夏季休暇とも重なる ため、この時期に帰郷するのも年中行事と化した感があります。 お盆の食べ物は地域によってそれぞれ伝統的なものがありますが、食べ物のいたみやすいときだけに、 いずれもいろいろと工夫されています。その中で一番多いのは、「お盆のぼたもち」といわれるように やはりおはぎ類やお餅類でしょう。 お盆にはこの他、秋の豊作を祈る意味があるともいわれ、さらに、麦の収穫を祝って感謝する「麦の正月」 という意味もあるようです。 ☆盆踊り☆ 本来はお盆の時期に行われていました盆踊りですが、最近ではお盆の前後を含め、長い学校の 夏休みのあいだのどこかで行われるようになりましたね。 盆踊りの目的としては、祖霊や亡者を招いて送り返す意味をもったものと、豊年祈願のためのもの と、二つに分けられます。 前者には、町をねって歩く群行式のものが多く、踊り手が覆面のようなかぶりものをつけて、亡者に なって踊るものです。 後者は揃いの衣装を身につけて踊る派手なものが多く、寺院の境内や広場 などで輪になって踊る形式が多いです。 各地の伝統的な盆踊りには、古い芸能や民謡が引き継がれ、保存されていて、民俗学の貴重な 資料となっているものが沢山ありますが、近年は、町おこしや観光事業の一環として、イベント化 したものも少なくありません。 ☆中元☆ 古代中国では、正月15日を上元、7月15日を中元、10月15日を下元と呼び、合わせて三元と称し、 贖罪の日(しょくざいのひ)とされました。 いずれも満月の日で、中元の場合はこの日に盂蘭盆の 行事を行い、先祖の供養をする日とされていました。 たまたま日本では、上元は小正月、中元は お盆と重なりましたが、下元は何も行われていません。 時代ははっきりしませんが、中元の時期、お正月前のお歳暮と同じように、盆供、盆歳暮といって、 物品を贈答する風習ができ、それが次第に広まって、「お中元」として現在に残っています。 東京などではお盆を太陽暦で行うため、お中元もその7月上旬に集中し、7月15日を過ぎると 暑中見舞いになります。 これに対して、大阪や京都などでは月遅れのお盆となるため、お中元も 8月上旬に行われるのです。 |
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| ★ 七夕 ★ 七夕は、いまでは「たなばた」と読みますが、もともとは五節句のひとつで、「しちせき」と読みました。 旧暦の七月七日の夜に行う行事で、七夕祭、星祭ともいいます。一年に一度、七月七日の夜にだけ、 織姫(織女)と彦星(牽牛)が天の川をはさんで逢瀬を楽しむことができる、哀しくも美しいお話は、 中国の古い伝説です。 もうひとつ、「乞巧でん」といって、やはり七月七日の夜に、女子が習字や裁縫、手芸、音楽などが 上達するように祈る、中国の古い風習も伝わってきて日本でも七夕の行事が行われるようになりました。 『万葉集』に七夕の歌が数多く収められているのをみますと、七夕の行事はかなり古い時期から あったようですが、最初の頃は貴族などの上流階級のあいだでだけ行われていましたが、やがて 庶民のあいだにも広まり、江戸時代には笹の葉を切ってきて門口に立て、さまざまな願い事を書いた 短冊を下げるようになりました。 旧暦の七月七日といえば、梅雨も明け、夜空も爽やかになり、天の川もキラキラ輝く頃です。しかも、 この頃は丁度上弦の月で、いかにもそれは天空を渡る小舟のように見え、早々と西に没する。月の 入った後、星たちの輝きはいっそう増し、織姫と彦星の二星は心なしか接近したように見えます。 ところが、太陽暦の七夕はこうはいきません。 まだ梅雨が明けず、雨になることが多いのです。 そこで仙台のように月遅れで七夕を行うことも少なくありませんが、それはそれで満月にあたったりし、 旧暦時代の情緒を100%味わうのは無理になります。 それでも月遅れの場合は、一応は初秋の 夜を楽しむことができます。 ところで、七夕といえば、そうめんがつきものでした。季節から、丁度好まれる頃です。今日でも、 お中元や暑中見舞いの贈答品としてそうめんがよく用いられるのは、この風習の名残も手伝って いるのではないかと思います。 ☆☆☆☆・・・・・さて、貴方は七夕の星空に何を願いますか?・・・・・・・☆☆☆☆ |
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| ★ 端午の節句 ★ 端午の節句も五節句の一つです。五月は午の月で、その五日の日を端午といい、もともとは端五でした。 旧暦の五月といえば、梅雨の始まる頃です。古来中国ではこの日は「薬狩り」といって、山野に出て薬草を 採取する日であり、菖蒲酒を飲んで邪気を祓う行事も行われていました。これが飛鳥時代に日本に伝わり、 貴族から庶民へと広がったのです。 菖蒲も薬草の一種で、菖蒲を入れた薬湯に入る習慣が各地に残っていますが、菖蒲は尚武(武事、軍事を 重んじる)に通じる事や、この日に行う、モグラなどを地中から追い出し、大地の生産力を呼び起こす為 印地打ちや石合戦などが勇ましい感じがすることから、江戸時代にはこの日を尚武の節句とするようになり ました。 雛祭りが女の子の節句であるのに対し、端午の節句は男の子の節句とされ、武家では甲冑を飾り、旗指物 を立ててこの日を祝いました。その後、雛人形にならって武者人形などが飾られるようになりました。 この日に食べるちまきは、古代中国でこの日の頃行われた寒食(火を使わないで作った食事を食べること) の風習の名残です。 ☆ 鯉のぼり ☆ 端午の節句に鯉のぼりを立てるのは、中国故事の 「鯉は竜門の滝をのぼって竜となる」により、 立身出世を祈る親心の表れといったところでしょうか。 鯉のぼりと一緒に立てられるのぼりの類は古くは紙製でしたが、次第に布製の物に変わってきました。 ☆ 菖蒲湯 ☆ 端午の節句は「菖蒲湯」に入ると縁起が良い日でもあって、「菖蒲湯に入ると病気にならない」という言い伝え が有名ですよね。中国では端午の節句に「菖蒲酒」を飲という風習があるそうです。 菖蒲の葉は昔から厄払いや魔除けに利用されていたようで、全国各地に菖蒲にまつわる習わし、言い伝えが あるそう。 例えば端午の節句に厄払いのために屋根に菖蒲をのせたり、家の軒に吊るしたり、また、関東では「菖蒲たたき」 といって、子供達が菖蒲の束で地を叩くという風習もあるようです。 端午の節句に限らず、例えば狩に出かける時、菖蒲を衣服に擦り付けると蛇や虫などから身を守ってくれる ですとか、菖蒲で鉢巻をすると頭痛が治るですとか、色々な風習があるようです。 菖蒲湯は腰痛や冷え性、肩こり、痛風などに効果があるそうですし、菖蒲湯にゆっくり温まって邪気を祓っては 如何でしょうか? |
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| ★ 上巳(じょうし) 〜 桃の節句、雛祭の由来について ★ 古代中国では3月の最初の巳の日に行事を行ったことから上巳という名がありますが、後に3月3日に固定され、 今は雛祭りや桃の節句の名称もあります。 古代中国ではこの日、川で身を清め、不浄をはらう習慣がありました。その習慣が平安時代、日本にも取り入れられ、 宮中では曲水の宴が催されるようになりました。 この宴は川辺に並び、酒を入れた盃が流れ着くまでの間に漢詩や 和歌を詠まないと、罰としてその盃の酒を呑まなければならないというものでした。(きっと私ならわざと詩を詠まず、 盃を待ち望むと思います) 本格的な農耕に先立ち、水を祭ることがこの日の起源となっているらしいのです。 また、この日、紙で作った人形に穢(けが)れをなでつけて浮上を祓い、川に流すという行事があり、これが流し雛の 習慣として今も各地に残っています。 さらに、愛玩用の人形を飾る風習がしだいにさかんになり、雛人形が飾られるようになりました。 江戸時代半ば過ぎ には雛人形はずいぶん立派な物となり、雛壇に飾られるようになったそうです。 このことから、上巳はのちに、雛節句を指す言葉としても使われるようになったらしいのです。 魔術の部屋にあります言い伝えについての項目で触れましたが、「雛人形を早くしまわなければお嫁に行けなくなる。 (行くのが遅れる)」という言い伝えは有名ですよね。 雛人形を片付ける作業は手間がかかりますし、丁寧に片付ける ことも躾のひとつとされ、きちんと片付けができること=物事にけじめをつけられる女の子に育って欲しいという、親の 願いからこの言い伝えができたとされているようです。こういった躾をせず無精者に育ててしまうとお嫁に行けなくなる・・ ということになるのでしょうね。 ★ 草餅 ★ 雛祭りは「草餅の節句」とも呼ばれるように、この日は草餅を食べる習慣も残っています。旧暦のころはちょうど 草餅の 材料となるよもぎの若芽が出る時であり、よもぎの強烈な香気が邪気を祓うからとされています。 ★ 桃の魔法 ★ 雛祭りは「桃の節句」ともいいますが、桃は昔から魔除けのシンボルとされてきました。 鬼門の方角に植えると 災難から逃れられ、また、桃という字は逃(とう)と同音であることから、「災いから逃げる」とも刀(とう)と同音という こともあり、「厄を切り払う」ともいわれています。 ひな祭りに桃の花を飾るのも、桃の邪気払いの力を借りて厄を払うためのようですね。 中国では孫悟空が不老長寿の桃を食べて命を得たというお話がありますし、桃太郎の鬼退治も、桃の邪気を払う力を 象徴した話だと思います。 他にも、古事記には、亡き妻を尋ねて黄泉の国へ入ったイザナギが、鬼女に追われて逃げる際に、桃を投げて助かった 話もありますし・・・ 香りが良く、甘くてジューシーな桃、ひな祭り以外でも、例えばピーチ色のアクセや小物、ピーチの香りなど、 ラッキーアイテムとして活用してみては如何でしょうか? 画像は日頃愛用中の香り『sometimes in the morning』です。^^ ラストにサンダルウッドとピーチが香る、マリア的 デイリー厄除け香水です。^^ もうひとつ、占いのお仕事時に愛用中の厄除け香水はDonna Nautilusという、これもピーチとサンダルウッドが香ります。 こちらはsometimes in the morningよりもかなり重い香りが漂いますので好みが分かれるかもしれませんね☆ |
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| ★ 節分について ★ 四季其々の終わりの18日間くらいを土用と呼びますが、土用の最後の日は、次の季節の前日という 事になり、この日を節分といいます。 節分といえば今は立春の前日、冬から春にかけての節分をさしますが、春の土用の最後の日も節分 であり、その翌日は立夏、同様、夏の土用の節分の翌日は立秋、秋の土用の節分の翌日は立冬など、 元々節分は年に4回あり、四季の分かれ目を意味しました。立春の節分だけがいまでも年中行事として 残っているのは、立春正月の考え方から、年の変わり目であるのと同時に、「鬼やらい」など、他の節分 にはない様々な慣わしを伴っているからのようです。 「鬼やらい」とは、病気や災難を齎すとされる鬼(凶運、悪運、一年で溜まった悪い霊障、厄など)を 追い出す行事で、古くは宮中で大晦日に行われた追儺(ついな)の儀式に由来し、それが次第に民間に 広まったそう。これも立派なおまじないですよね。^^ 「鬼は外。福は内」と、豆をまく厄払いの行事は、室町時代に中国から伝わったものだそう。 また、この日の夜、家の戸口に鰯の頭を刺した柊をかけておく風習も各地に残っていますね。 鬼が柊のとげに刺さって痛がり、鰯の臭いに驚いて逃げ去っていくと考えられたようです。 最近では節分行事に恵方巻きを取り入れるご家庭も増えているようです。 我が家も毎年習慣になりつつありますが、恵方巻きとは節分に食べる太巻きの事で、商売繁盛、無病息災、 願い事が叶い、幸運が訪れる、厄落とし等の意味を持つのです。 太巻きを丸々一本用意し(福を巻き込むことから巻き寿司が良いとされ、縁を切らないよう包丁を入れずに 丸ごと1本ということです。 七福神にあやかり7種類の具が入った太巻きが望ましいそうですが、太巻き一本を食べるのは結構苦しい ですよね。^^; 巻き寿司を鬼の金棒に見立て、それを退治する意味もあるらしいです。)恵方を向いて(今年の恵方は 南南東ですよ)、無言で一本食べつくすのです。 おしゃべりすると、運が逃げてしまうので、願い事をしながら、黙々と食べるのです。 さて、皆様のお家は豆まきの準備はされましたか? 一年で知らずに溜まった厄の大掃除を、この機会にしてしまえるといいですね。^^ 寒いかも知れませんが、家の窓やドアを全て開けて、悪い運を追い払ってしまいましょう。 運は確かに 循環しています。風を通して厄は消え去り、代わりに福が運ばれて来ると思いますから・・・☆ *画像はお店で見つけました小さな恵方巻き@七福の太巻きは大きすぎるので 小分けにして頂きました。^^ ![]() |
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| ★ 厄年について ★ 人生で災いの起きやすい年が厄年とされてますが、では厄年はいつ頃で、その意味はと聞かれても 答えられる人は少ないのではないでしょうか。厄年が定められたのは伝説によると中国泰王政の 始皇帝時代のようです。皇帝は万里の長城を築き、百薬の長を求めたり、人生の災いや寿命を研究し 厄の節目を算出しました。日本に厄年説が伝承されたのは室町時代です。その後人間の寿命も延び、 冬至の易学者達の命題により江戸時代から改定され現在に至ってます。 厄年は、生理的ホルモンの分泌等が変調し、心身変化の節目を迎える時で、厄年に当たる人は運勢好転、 病気や災難から逃れる厄払いをします。幼児期は本能的、自己中心的で模倣性が強く、少年少女期は 欲望が露骨に出、個性が強くなり、反抗的、異性への関心、虚栄心から優劣を強く感じる時です。 青年期は向上心旺盛になりますが、将来や思想、異性愛の煩悶もあって、理想と現実とのギャップを強く感じ、 壮年期は親となり、建設的で活動意欲、名誉欲も強くなりますが、打算的、批判的にもなりやがて男女共、 更年期を迎え人生に焦り、惑いが生じます。老年期は機能が衰え病気、死の問題に直面し、価値観念の変化を 来します。そうした過程で感情や判断の誤りで突進した面が出たり、偶然性が絡んで災いを招くのでしょう。 厄年は、色々苦悩する事が出るものですが、自然界の与えた修行の期間と受け止め、欲望をセーブして反省と 将来の構想を練る、自己充実を図る、健康や事故、大失敗を起こさないように細心の注意を払い、内外共に 油断無く気配りを忘れない事が肝要です。 ★厄年の年齢 性別、地方によって異なりますが、大厄と小厄があり、大厄は男女で違います。新築、結婚、新規事業、 旅行を避け、健康や身辺に注意をし、身を慎む期間とされています。 厄年は数え年で見ます。数え年は 1月1日で満年齢に2歳を加え、その年の誕生日から満年齢に1歳を加えます。 男性大厄年〜数え年の25歳、41歳、42歳、43歳、61歳 女性大厄年〜数え年の19歳、32歳、33歳、34歳、37歳、61歳 |
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| ★ 暦注について ★ 「結婚式は大安の日に・・・」 「友引の日にお葬式は避けたい」 というように、六曜を気にする方は少なくない のではと思います。 しかし、最近は六曜以外の、例えば二十八宿や中段下段まで気にする方は少ないのではないでしょうか。 手元に暦がありましたらチェック下さるとおわかり頂けると思いますが、六曜をはじめ、中段下段、二十八宿、九星、 干支等のことを、暦注と呼びます。 暦注(れきちゅう)とは、暦に記載される日時・方位などの吉凶、その日の運勢などの 事項のことで、暦注の大半は、易経の世界にも通じる陰陽五行説、十干十二支(干支)に基づいたものなのです。 占い師の私は仕事柄、今日の六曜は? 二十八宿は? など、毎朝起きると必ず日筮を立てる前、暦をチェックします。 現代の生活にはそぐわないのでは? それに、六曜が吉でも二十八宿で凶なら如何判断するの? と疑問に 思われる方もいらっしゃるでしょうけど、吉凶はひとつの戒めと受けとめ、何事も慢心せず、細心の注意を払うという ことこそが大切なのではと思います。 古くから人々の生活のよりどころだった暦注、あなたもチェックしてみては 如何でしょうか? (日記の部屋にてその日の暦注を載せています。興味がおありな方は是非、こちらで吉凶を チェックしてくださいませ) ★ 暦の六曜星 ★ 六輝ともいい、中国から伝わったといわれますが、広く使われるようになったのは江戸時代末期頃からです。 江戸時代の末期から流行り始めた六曜は、はじめのうちは専ら遊び人や勝負師の間で用いられていたようですが、 それがいつ頃からか生活一般の吉凶に結びつけて考えられるようになったそうです。六曜は旧暦を元に配当されて います。結婚式やお葬式以外でも、例えばお友達と会う日や何かをはじめる日デートの日を決める時など、普段の 生活の中でも意識してみては如何でしょう。 ☆先勝:「せんしょう」「せんがち」「さきがち」などと読まれますが、「せんかち」が最も良く使われているようです。 先んずれば勝つということで、早ければ吉、急げば幸運が舞い込んで来るとされます。この日は何事も 積極的に動いて吉ですが、午前は吉、午後は凶ともされてます。 なので諸事急ぎ事や願い事、交渉は 午前中吉。午後は凶となります。 ☆友引:友を引くということで、凶事に忌まれています。古くは勝負なき日とありますので、何事も引き分けで 勝負のつかない日とされていました。 朝夕吉事に用いて良いが、正午は凶。葬儀は忌むとされます。 ☆先負:「せんぷ」「さきまけ」などの読み方がありますが、「せんまけ」が一般的なようです。先勝とは反対で、 午前中は凶、午後は吉。何事も急がず控えめが良いとします。相手が仕掛けてくるまで待つのが無難です。 ☆仏滅:空亡、虚亡ともいい、全てが虚しく物が滅する、物滅の音が転じて仏滅となりました。最大の凶日で 諸事謹むべき日。病気は長引く恐れがあります。 ただし、お葬式や法事は良いとする説もあります。 ☆大安:嘗て泰安と書かれていました。万事障り無く大吉。祝い事に用いて特に良い。この日は結婚式場の予約が いっぱいになりますね。^^ ☆赤口:「じゃっこう」「じゃっく」「せきぐち」など色々読まれますが、「しゃっく」が一番使われているようです。 もとは陰陽道で凶日のひとつ。正午のみ吉で朝夕は凶。祝い事や新規の事は特に大凶なので謹む日です。 また、赤=血を連想するということで、大工さんや板前さんなど、刃物を持つ職業の人は要注意日とも されています。 ★ 暦の中段 ★ 十二直、または十二客ともいわれ、中段は旧暦の節気にあたる日と干支を組み合わせて配当されています。 時代と共に吉凶解釈も微妙に違ってきていますが、元来の意味を紹介致しますね。 ☆建 (たつ):万物を建て生ずる日。神仏を祭る、結婚、開店、移転、上棟、旅行、新しい服に袖を通すなど全て大吉。 ただし土を動かすこと、屋敷内での土工事、蔵開きは凶。 ☆除(のぞく):不浄を払い、百凶を除く日。医師の診察をはじめて受ける、種まき、神事は吉。婚姻、旅行、移転、 土を動かすことは凶。 ☆満 (みつ):万事すべて満たされる故、建築、旅行、工事、移転、開店、結婚、土を動かすことなどすべて吉。葬儀は凶。 ☆平(たいら):物事が共に平安で平等となる意味から、吉凶ともに平らかになる平等の日。何事も支障なく、お祝い事、 相談事大吉。 移転、旅行、結婚など、穴を掘る事以外は吉。 ☆定(さだん):定めることに良い日。定まる日とします。建築、移転、結婚、種まき、売買吉。新規の事吉。ただし裁判、 旅行、木の植え替えは凶。 ☆執 (とる):ものを受取る日。婚礼、建築、物事の受け入れ、作物の刈入れ吉。活動、成長の日。ただし金銭の収受、 財産整理は凶。 ☆破(やぶる):戦えば必ず傷つく日。破壊の日。裁判は吉。神仏を祭ること、約束事、相談事、祝い事は凶。 ☆危(あやぶ):何事も危うい日。全て控えめが吉。 旅行、船出、登山は凶。 ☆成 (なる):物事が成就する日。柱建て、種まき、開店など新規の事、始める事吉。裁判は凶。 ☆納(おさん):納入、納品など納める事は吉。 入学、結納、結婚、買い入れ、作物の取り入れ吉。ものを出すのは凶。 ☆開(ひらく):神使天険を開通させる日とされ、運が開ける日。開業、入学、建築、移転、結婚など前途に望みあるもの吉。 葬儀、不浄ごとは凶。 ☆閉 (とづ):陰陽の気が閉じて塞がるので、全て閉鎖の日。お金の収納、建墓は良いですが、回転、開業など、新たに 始める事は凶。 ★ 二十八宿 ★ 二十八宿は、古代中国で天体の位置や季節を知る為、考え出された星座で、年月日に配当し、暦に使われると共に、 吉凶判断に利用されるようになりました。 平たくいえば、東洋占星術なのですね。 吉凶の意味は書かれている本に よって違いがありますが、鬼宿と牛宿は大吉の星という点は共通しているようです。 また、天気予報の役目をしていた ことがあるのは興味深いところです。 《東方青龍七宿》 ☆角(かく):二十八宿の第一宿。「すぼし」。おとめ座中央部。衣類の裁断、着始め・柱立て・普請造作・結婚に吉。葬式に凶 ☆亢 (ごう):第二宿。「あみぼし」。 おとめ座東部。結納、婚礼、衣類仕立て・物品購入・種まきに吉。造作に凶 ☆てい :第三宿。「ともぼし」。てんびん座。種まき、結婚・開店・結納・酒造りに吉。着始めに凶 ☆房(ぼう):第四宿。「そひぼし」。 さそり座頭部。 結婚・旅行・移転・開店・祭祀、衣類の裁断など大吉 ☆心(しん):第五宿。「なかごぼし」。さそり座中央部。祭祀・移転・旅行・新規事に吉。造作・結婚に凶。盗難注意 ☆尾 (び):第六宿。「あしたれぼし」。さそり座尾部。結婚・開店・移転・造作・新規事に吉。着始め・仕立てに凶 ☆箕 (き):第七宿。「みぼし」。 いて座南部。動土・池掘り・仕入れ・集金・改築に吉。結婚・葬式に凶 《北方玄武七宿》 ☆斗 (と):第八宿。「ひきつぼし」。南斗六星(いて座中央部)。土掘り・開店・造作に吉 ☆牛(ぎゅう):第九宿。「いなみぼし」。 やぎ座。 移転・旅行・金談など全てに吉 ☆女(じょ):第十宿。「うるきぼし」。みずがめ座西端部。稽古始め・芸事・お披露目に吉。訴訟・結婚・葬式に凶 ☆虚(きょ):第十一宿。「とみてぼし」。みずがめ座西部。着始め・学問始めに吉。相談・造作・積極的な行動に凶 ☆危 (き):第十二宿。「うみやめぼし」。みずがめ座の一部、ペガスス座頭部。壁塗り・船普請・酒作りに吉。衣類仕立て・高所作業に凶 ☆室(しつ):第十三宿。「はつゐぼし」。ペガスス四辺形の西辺。祈願始め・結婚・祝い事・祭祀・井戸掘りに吉 ☆壁(へき):第十四宿。「なまめぼし」。ペガスス四辺形の東辺 開店・旅行・結婚・衣類仕立て・新規事開始に吉 《西方白虎七宿》 ☆奎(けい):第十五宿。「とかきぼし」。 アンドロメダ座。開店・文芸開始・樹木植替えに吉 ☆婁(ろう):第十六宿。「たたらぼし」。おひつじ座西部。 動土・造作・縁談・契約・造園・衣類仕立てに吉 ☆胃 (い):第十七宿。「えきへぼし」。おひつじ座東部。開店・移転・求職に吉 ☆昴(ぼう):第十八宿。「 すばるぼし」。おうし座・プレアデス星団(昴)。神仏詣で・祝い事・開店に吉 ☆畢(ひつ):第十九宿。「あめふりぼし」。おうし座・ヒアデス星団 祭祀・取引開始・普請開始・土地開拓・縁談に吉 ☆觜 (し):第二十宿。「とろきぼし」。オリオン座頭部。稽古始め・運搬始めに吉。造作・衣類着始めに凶 ☆参 (しん):第二十一宿。「からすきぼし」。オリオン座 仕入れ・納入・取引開始・祝い事・縁談に吉 《南方朱雀七宿》 ☆井(せい):第二十二宿。「ちちりぼし」。 ふたご座南西部。神仏詣で・種まき・動土・普請に吉。衣類仕立てに凶 ☆鬼 (き):第二十三宿。「たまをのぼし」。かに座中央部(プレセペ星団付近)。万事大吉。二十八宿の中で一番良い日。 ☆柳(りゅう):第二十四宿。「ぬりこぼし」。うみへび座頭部。物事を断るのに吉。結婚・開店・葬式に凶 ☆星(せい):第二十五宿。「ほとをりぼし」。うみへび座心臓部。乗馬始め・療養始め、トイレ改造に吉。祝い事・婚礼、葬送、種まきに凶 ☆張(ちょう):第二十六宿。「ちりこぼし」。うみへび座中央部。 外出、就職・見合い・神仏祈願・祝い事に吉 種まき利益あり ☆翼(よく):第二十七宿。「たすきぼし」コップ座。耕作始め・植え替え・種まきに吉。高所作業・結婚に凶。離婚になる ☆軫(しん):第二十八宿。「みつかけぼし」からす座。万事吉。地鎮祭・落成式・祭祀・祝い事に吉。衣類仕立てに凶。火難にあう ★ 暦の下段 ★ 暦の最下段に記載され、悪い日をできるだけ避けたいという願いから生まれたとされます。現代人の感覚ではちょっと理解 し難いところもあるでしょうが、昔から庶民の生活の知恵として今に伝わっているものが多いのです。 ☆天恩:天より恩恵のある日。婚礼、相続、祝い事吉。 ☆大明:陰陽和合の大吉日。旅行、移転、結婚、衣類裁ち吉。 ☆母倉:天が万物そ育成するとされ、万事に渡って吉。 ☆月徳:種まき、土を動かす、婚礼、女性の事柄に用いて吉日。 ☆神吉:神仏お祭り、建築等何事にも吉。 ただし不浄事は凶。 ☆鬼宿:祝い事や新規事を始めるに大吉。長寿名誉を得る。 ☆○ :大願成就日。神仏祈願、開業、建築等諸事大吉。 ☆伐日:上を冠する情日ならば全て用いて悪い日。 ☆地火:地気炎上の日で、土を動かすことや移転を忌む。 ☆血忌:殺生、鍼灸、手術全て血をみる事を忌む日。 ☆凶会:悪いことが集まる意味で、婚礼など吉事を行うのは凶。 ☆復日:何事も重なる日で吉事は更に吉となり凶も重なる。 ☆天火:屋根工事、移転など凶。他は障りなし。 ☆● :不成就日。 物事が成就し難く、悪い結果を招く。 ☆往亡:旅行、移転、婚礼などで出かけるのを忌む日。 他は障りなし。 ☆重日:着初め、取り引き、入学吉。婚礼、葬儀は凶。 ☆黒日:万事物事が成就しないとされる悪い日。新規事凶。 ☆帰忌:婚礼、移転、旅行、金銭の貸し出しなど慎む日。 ☆十死:黒日に次ぐ凶日。婚礼、葬儀に忌む。 ☆五墓:土を動かす、地固め、葬儀、種まきなど忌む ☆大禍:万事に用いて凶。特に造作、口舌慎むこと ☆滅門:物事を始めると一家を亡ぼすとされる凶日。 ☆亡日:物事が成就せぬ大悪日で全てにおいて用いるのは凶。 ★ 各人九星別毎日の吉凶表 ★ その日の九星とご自分の九星で、その日の吉凶がわかります。
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| ★古典文学の中の暦 ***「土佐日記」と具注暦***★ (暦の吉凶が旅の道行きを左右した平安時代) ☆紀貫之が女性を装い、和文で日記を綴ったわけ 「男もすなる日記というものを、女もしてみんとて、するなり」とは、「土佐日記」の有名な書き出しですね。 「土佐日記」は土佐守として4年の任期を終えた紀貫之が、任地から京都へ帰り着くまでの55日間の記録であり、 和歌日記にもなっています。しかし、何故、紀貫之は女性を装い和文で書いたのでしょうか?それにはちょっとした 訳があったようです。 当時、日記は男性が漢字漢文で書くのを常とし、具注暦の余白に簡潔に書きこまれていました。しかしここに和歌 などを書こうとすると、あまり格好が良くないのです。漢文の間に漢字を万葉仮名式に使って割りこませて書かれて いるものもありますが、とても読みづらく、意味が正確に取れない場合もあるのです。仮名が一般的になってからも、 日記を仮名で綴るのは、男の沽券にかかわるとばかりに、頑なに漢字漢文で日記を書いていた貴族もいました。 そのような中で紀貫之が女性を装って和文の日記を書いたのは苦肉の策だったように思います。貴族であった 紀貫之は当然具注暦を所持し、その余白に漢字漢文による日記をつけ、それを元に和文の「土佐日記」を執筆した のではないでしょうか?その方が、読みやすく、女性が書いた日記ともなれば注目を浴びる事も間違いナシと 思ったに違いありません。 表現は不適切かもしれませんが、もしかしたら彼は今でいう「ネカマ」の元祖ともいえる かもしれませんね。(笑) ☆暦の吉凶による船旅 土佐国府(今の高知県南国市)から京都までの海路は、当時は今では想像もつかぬほど大変危険な旅だったの ではないでしょうか。 距離は長く、天候に左右され、海賊も出没し、誰もが神仏の加護を祈り、暦注の吉凶判断を 重視し、それに従っていたのでしょう。 「それの年の十二月の二十日あまり一日の日の、戌の時に門出す」と、出発の記録がされていますがこの日は特に 良い日というわけではなく、この前後に門出によさそうな日がなかったため、この日になったようです。しかし、実際に 出航したのはそれから五日後の27日です。その間主人公は見送りの人に会ったり、新任の国守の館へ出向いたり しているうちに、戌の時に遅れてしまったのです。その後、暦上では悪い日が続き、27日の出航吉日まで留まった ようですね。この後も、途中の港に止まりながら、ある時は悪天候の為何日も足止めにあい、またある時は、凶日の 為、出発を遅らせたりしながら55日もかかって京都に到着するのです。「日あしければ舟ださず」など、暦の吉凶に 左右されている事が記述で知る事ができます。 平安貴族が具注暦をいかに生活の指針としていたかを、この「土佐日記」から伺い知ることができるのです。 暦における、ちょっとした雑学でした。 |
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